『安部公房とわたし』(山口果林 講談社+α文庫 2013→18年)

 安部公房という作家の作品は、何冊か読んでいて、理知的なギリシャ神話を連想させる物語という記憶があったが、山口果林による本書を読んで、大変不器用な人格だった、ということが分かった。『天空の城ラピュタ』の世話役、メンテンナス担当のロボットのようだ。

 自分の信ずるものを、不器用に守ろうとして、あちこちに衝突しながらも役割を果たす。という彼を思い出した。切ないが優しい。しかも、感情は入っていない。「そういう人に私はなりたい」と、私は思う。

 安部は医学部を出て、作家劇作家になった。当時としては数少ない才能だ、ということを本書で知った。「才」のある人は何をやってもキチンとやり、先端に立つのが、トータルに全てをつなげるのは、余計難しいわけだから、日常生活は取り散らかし、辻褄が合わないことがあったのだろう。

山口さんは、その彼を詳細に観察し、記述した。愛のある二人だから、切ない。

 前回紹介した『不倫』(パウロ・コエーリョ)と違い、筆者は当事者なので、紙の上の物語ではない。実際の観察が、物語になっている。そういう意味では、稀有の本だろう。

 それにしても、筆者自らの母を同時期に亡くし、阿部を亡くし、さらに阿部の妻を、と立て続けに襲われた山口は気丈である。先へ先へと目標をかかげてゆく。時に疲労し寝込むが、安部との思い出の品々…果ては分骨された骨までも「海に播く」。

 実に内容もさることながら、怖い本である。


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# by ihatobo | 2018-05-04 10:02

『モデルニテ』(小林康夫・松浦寿輝・松浦寿夫 思潮社 1998年)

 前回紹介した松浦寿輝を初めて知ったのがこの本で、それで『明治の表象空間』(新潮社)を読み、本ブログでも紹介した訳です。

 初読の時は、私のコトバのストックが少なく、こんなに緻密な内容が並べられていたのか、と今回、気づかされた。『明治の表象空間』は根気がいるので、まず既知の本書から、と考えたが相手は3人で、その一人ひとりがスーパー・インテリだから、少しは理解出来そうな「対談編」のなかのⅢ「モダニズムの外部」(小林/松浦寿輝)を読んだ。

 私の世代では馴染のある、モダン/ポスト・モダーンの区分だが、そうやって区分すること自体がモダンを前提しているから、モダーンではなくモダーンの外部。モダーン期にあって、それに靡なかったものはなかったか、という検証がここで進められている。

 時代に靡かず人々を説得できるものといえば、男女のやり取り、交換、分担…はいつの時代にもある。ということで、それを「普遍」とまでしなくとも、そうしたものは何か、という文脈の先で、

 ―― つまり、近代(モダーン)というのは…<女>を発見するのです。――

                                     と小林は述べる。

ここで、この章がぐっと私に近づいた。

 初読時の鉛筆が入っているにも関わらず、ヒットした形跡はない。ちゃんと読もう。自分に言い聞かせる始末であった。外部―女というその先に、「写真」が出てくる。昨日の新聞に、載っていた写真家のセクハラ事件折しも、嫌気がさしていたところだったので、本書を読んで嬉しかった。


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# by ihatobo | 2018-04-27 10:16

『不倫』(パウロ・コエーリョ 2014→16年 KADOKAWA)

 この作者は、ちょうど本作を発表した年のオリンピック/パラリンピンクの開催地、ブラジル・リオネジャネイロに生まれ、現在71歳という。日本の基準では「高齢者」になる年寄り。私は彼よりふたつ若いが、本作に扱われているような境遇にはない。といいたくなる程、精力的な執筆活動を30年以上続けている。

 デビュー作は『星の巡礼』(1987)で、原題が「コンポステーラ」。このあと、わが国でも同じ名のバンドが結成され、こちらのデビュー作は当店で売った。

ちなみに、現在のCD販売のスタイルを作ったのは、この「コンポステーラ」。200枚以上は、売れた。(今は亡きプロデューサー藤井さんが造った。そのバンド篠田昌己を亡くし、現在は、それぞれが活動を続けている。)

 本作にも度々出てくるのが、「光」が大変重要な役割を果たしている。この光が、パオロにあっては「星」である。篠田によると、コンポはコンパスのコンポ、星の方向、位置の意味だそう。美しいコトバだ。

 さて、本作の内容は、とてもスリリングで英語?のタイトルがアダルテリー。日本語の感じは、「大人ですもの」といったところか。ハラハラ、ドキドキである。しかし、とてもシビア。

 現代人の心の闇を、見事描いた傑作である。


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# by ihatobo | 2018-04-21 05:29