というのも、新刊に面白いものがなければ、既存の本に興味が向く。
筒井の回でもやったことを想い出し、この際シリーズ化しようと思い立った。で見つけたのがル・クレジオの『物質的恍惚』(豊崎光一・訳 岩波文庫)
この際だから言っておくが、この老大家存命である。
しかも、新作『戦争』も用意されている。(筒井も少し若い大家であるが新作を発表した)
その私の現状判断の背中を押してくれるのが、“世田・美”(世田谷美術館)で20日まで開催されている「松本瑠樹コレクション-ユートピアを求めて」展。
この展覧会を企画、応援した亀山都夫による解説が新聞に載せられている。(11月5日 付)
その記事によると、まず、このタイトルに含まれる「ユートピア」である。
このギリシャ語の語意は「どこにもない場所」。
古来ヒトの書く物には、不可思議な空白が必ずあるもので、それは何だろう…と。それを想像するのも読む者の楽しみでもあるのだ。
しかし、それをことばで自覚しないうちに、書物は終りを迎えてしまう。もどかしい。読むそばから失われてゆくものである。
本書にある記述-「ぼくが望んだのは、生以前の虚無と以後の虚無を内包している(!)ような書物を創り上げること→(主旨)」は、私が読んでいる本に、出来上がる以前と以後が、内包されている。
としたらその不可思議が私自身に移ってきてしまう。
そういった書物自体が不可思議を湛えているのである…
私たちの店は「どこにもない~」を文字れば「どこにでもある場所」として、ひたすら普通のコーヒーが飲めて、ひと休みできるテーブルをご用意しています。
次回は、そのひたすら普通の小規模飲食店を扱った『カフェと日本人』(高井尚之 講談社現代新書 10年新刊)をご紹介します。
# by ihatobo | 2014-11-09 20:28 | 本の紹介