『不倫』(パウロ・コエーリョ 2014→16年 KADOKAWA)

 この作者は、ちょうど本作を発表した年のオリンピック/パラリンピンクの開催地、ブラジル・リオネジャネイロに生まれ、現在71歳という。日本の基準では「高齢者」になる年寄り。私は彼よりふたつ若いが、本作に扱われているような境遇にはない。といいたくなる程、精力的な執筆活動を30年以上続けている。

 デビュー作は『星の巡礼』(1987)で、原題が「コンポステーラ」。このあと、わが国でも同じ名のバンドが結成され、こちらのデビュー作は当店で売った。

ちなみに、現在のCD販売のスタイルを作ったのは、この「コンポステーラ」。200枚以上は、売れた。(今は亡きプロデューサー藤井さんが造った。そのバンド篠田昌己を亡くし、現在は、それぞれが活動を続けている。)

 本作にも度々出てくるのが、「光」が大変重要な役割を果たしている。この光が、パオロにあっては「星」である。篠田によると、コンポはコンパスのコンポ、星の方向、位置の意味だそう。美しいコトバだ。

 さて、本作の内容は、とてもスリリングで英語?のタイトルがアダルテリー。日本語の感じは、「大人ですもの」といったところか。ハラハラ、ドキドキである。しかし、とてもシビア。

 現代人の心の闇を、見事描いた傑作である。


[PR]

# by ihatobo | 2018-04-21 05:29

『映画 誘惑のエクチュール』(蓮見重彦 ちくま文庫1983→90年)

 蓮見さんの映画好きは既に40年以上前からで、映画批評誌『リュミエール』の編集長を経て、最近は小説家でいいのだろうか。その彼の映像論の授業を、私は受けていた。メディア論だったか、評価はCを頂いていた。70年頃のことだが、朴訥とした語りを覚えている。

前回の『伯爵夫人』の際も本書を気にしていたのだが、今回やっと読んだ。「映画好き」ではなく、全行に愛を感じた。なにしろ…

その「愛」とは、映画に魅かれる、映画の仕組みといおうか、その源泉に分け入って、そのいちいちを物理的なフィルムの速度を分断、繋ぎ合わせ場面と音響の掛け合わせを、記号論の用語を使って秩序立ててゆく、という具合。

記号論は、言語学の一分野のようなもので、“意味するもの”と“意味されるもの”を分けて、前者が言語そのもの、後者がその内容といえばいいのか、当たらずとも遠からずという抽象的な論考で、例えばコーヒー屋で例えるとメニューにAと記されたコーヒーが“意味するもの”。その注文を受けた私たちのひとりが、レシピ通りに作業するのが、“意味されるもの”ということだ。

 喫茶店に入り、当たりをつけて注文。思った通りのコーヒーだったら、「コーヒー通」ということになる。そうした文が並んでいる本書を、ぜひ一度味わってみてはいかがでしょうか。

 その店、そのスタッフの手際も含めて、コーヒーの真髄が味わえること、間違いなしです。

 あと一冊、映画論集(ロラン・バルト)もある。


[PR]

# by ihatobo | 2018-04-13 09:57

『明治の表象空間』(松浦寿輝 新潮社 2014年)

 日本におけるフランス文学者の文章には、ある種の癖があり、ひとつひとつの文章が断定的であるにも関わらず、次の文章は、その前の文の変奏であったり、文法を変換して主語を曖昧にしたりする。全体を読めば、いいたいことは分るのだが、その雰囲気だけが伝わるという仕組みになっている。イメージというか…

 本書著者も名立たる仏文学者だが、その学者に共通するのは、そうしたイメージや場所に関して文を綴っていることだ。結果、匿名者による文章が出来上がる。ともいえるが、それは矛盾している。この紹介文も、そのように迷走するしかない。

 ともあれ730ページ余りの大部の書なので、とりあえず手に取って開いてみた、という報告をしておこうと思う。

 ただ最後に記された跋があるように、私は勇気づけられ、自分の位置を知ることが出来たことは、嬉しかったのは事実である。


[PR]

# by ihatobo | 2018-04-06 09:59