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『東西不思議物語』(渋沢龍彦 河出文庫)その2

 本書の前口上、あとがきで著者が述べるように、本書の内容は古今東西の「不思議物語」。そのうち私の関心は、西洋の物語に集中したが、生まれ育ったこの国の物語は当たり前すぎて、不思議ではないのかも知れない。

「未来を占う鏡のこと」では、鏡をめぐる物語がたくさん紹介されているが、そのことを英語ではフリスタルロマンシーというらしく、欧米では一般的な物語のパターンらしい。「鏡の国のアリス」とかボルヘスの作品にも多く、それが見られる。

 「自己像幻視のこと」では芥川龍之介が、「ぼんやりとした未来に対する不安」と遺書に書いて自殺したのは知っているが、この章に出てくる「影の病」というのも不気味。

 西村博任という、恐らく精神科医の『泉鏡花・芸術と病理』も紹介されている。時代と国を越えてゲーテの著作にも、それがあるらしい。

というわけで、どの章も興味尽きない。「百物語」というタイトルがあるが、本書は、その半分49編が収められている。その意味で、大変お得な内容を持っている。実に、楽しめる本である。


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by ihatobo | 2018-09-28 10:14

『東西不思議物語』(渋沢龍彦 河出文庫→1982)

 自分の妄想に取りつかれて、現実離れした時間を過ごしていると、あらぬ物語が、どんどん生まれてくる。日本語はもちろん、漢字を軸に据えた言語だが、その漢字が成り立つには、その元となる幻想がないとならない。

 象形文字である漢字は、それが比較的成立しやすい。物や事のカタチを、いわば絵に描いて表せばいいから、大雑把にいえば観察がしっかりしていれば成り立つ。白川静の3冊の漢字辞書は、一文字分を読むだけで一苦労を要するが、逆に物語の側から漢字に迫るのが、記紀を初めとする、神話、説話。

 という風に考えると、渋沢龍彦の本書であろう。たとえば「一言主大神」という古事記に出てくる話が、面白い。この神は「鍋事(まがいごと)も一言、吉事(よごと)も一言、言い分ける神、ひとことぬしの神」だという。

 何やら後世の禅のようだが、こういう分節化が物事を明解にすることも、私たちは知っている。鍋吉の別は、それを据える主体によって、容易に反転するし、余計の一言が、事態を悪化させることもある。物事をよく観察し、事実を見極めるために、人は文字を造ったのだ。

 この一言主に関する論考が、柳田国男にあるらしい。そう著者は紹介している。同じ場所でアルゼンチンの作家ボルヘスが、中国の広東地方に伝わる伝説にも言及していることも、紹介している。

 言語は、必要があって使用される記号である場合と、その言語によって引き起こされる効果や意味に重心がある場合の二通りがあり、後者が神話や説話になり、前者に世界に秩序を与える役割を持っている。実際は、両方が混ざっているが…

 ともあれ本書は、そんなことを考えさせられる便利本である。


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by ihatobo | 2018-09-21 10:48

『十五少年漂流記』(ジュール・ヴェルヌ)その2

 寄り道のつもりで入った路に、脇道もあって、どんどん進んでしまった。さすがに「少年向け」の作品だから、そのまま読み切ろうとする情熱には至らなかったが、説教臭いことも含めて、つまらない作品ではない。

 訳者による解説も、19世紀末の世界状況や思念の方向を伝えていて、世界史のおさらいになった。本格的な作品解説は、私には無理だが、同時期の「表象空間」を扱った、松浦寿輝の大著は手許に置いているので、それを読んで、また考えることにしよう。

 いつしかセミの声も消え、柿の季節になったが、この時季の空が私は大好き。金木犀は咲くし。

さて、最近は「貸幣」が話題になっているそうだが、本書の著者が信仰するカソリックの教義にも登場するこの物体、ナゾである。と同様、本物語りも、たくさんのナゾを含んでいて、おもしろい。またいつか、巡ってくるだろう。

次回は何とかして「名人」終わらせねばならない。


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by ihatobo | 2018-09-14 08:50

『十五少年漂流記』 (ジュール・ヴェルヌ 訳・彼多野完治 1888→1961年 新潮文庫)

詳しいことはこの本の生い立がこみ入っているので省くとして、日本に紹介された明治の終りに、この本は大変な好評を持って迎えられ、以後今日に至るまで読み継がれていることをまず知って欲しい。
前回、つづくと、お知らせしたのだが、ここでひと休みをして、私も確か読んだ本物語に寄り道することにした。
小学校から中学に上がる頃、親が籍入本を買い与えたのだと思う。暗いなぁと感じ、夜は敬遠したのだと思う。
しかし、大人になってからこの本の書誌を含めて読んでみると、他の物語りと大差がないことが分かり、そこで失望、一度放棄したのだと思う。
最近になって著者が再評価され、彼の経歴なども紹介されて、一度まじめに読まねば、と考えていた時の偶然の再会である。
今回ザッと読み返して感じたのは、放棄した理由にも合点したが、何よりも、西欧の近代を進めた『勤勉、勇気、思慮、熱心』が最終ページで奨励されていること。
つまり、説教臭い物語りなのだ。読まずに通り過ぎても一向に構わない。ただし、大変面白い冒険譚であることは確か。童心に返って読み始めれば、眠れなくなること間違いなしである。

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by ihatobo | 2018-09-11 20:44

『名人』(川端康成)その2

 前回の前に本作の設定は、名人の引退碁を取材する新聞記者を語り手とするカタチで、物語が進んでゆくのだが、時に語り手が物語を飛び出してしまうことがあり、メタフィクションともいえる箇所も含んでいて、全体を紹介するには私の手に負えない。

 そうしたなかに、初回のように明確に区切られて写真が語られ、他の将棋や歌謡が挟まれていて興味が尽きない。

 それらのエピソードに並んで、西洋人の囲碁にも触れ、ゲーム、プレーのコトバを使って

 ―― 一般に西洋人の碁は気合いに乏しいと言われる。

 ―― 私はアメリカ人と打ってみて、その人の国に碁の伝統がないことも感じた。

と述べる。

 そうした碁の解説は、前回の写真に関する記述のように、国際性や碁の抽象性、さらに芸術とは何か、という具合に作者の思考は深まってゆく。それにしても、この小説は観戦記を越えて、当たり前だが、フィクション、造り物に完成されている。

 それ故に、登場する人物たちが私に間近にセリ出してきて生々しい。写真に触れたスグ後に、その同時代に生きた木村伊兵衛が登場するし、ドキュメンタリーよりも生々しさを上手く表現している。

 川端本人にが、この名人・本因坊秀哉の死に顔を撮っているらしく、その一連の「取材」を集め、構想を練り、いざ執筆に向かうまで、多年の月日を要したのも頷くことが出来る。つづく。


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by ihatobo | 2018-09-09 11:45