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『発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由』 栗原 類(2016年 KADOKAWA)

 人は皆幸せになりたい、と願っているはずです。幸せとはなんぞや?から始まり、果たして自分は幸せなのだろうか?と自問したり、幸せは常に身近なテーマです。

 この本は幸せになりたい人が読んだら、間違いなくおもしろいし、ためになる、と思います。

 こうやったらこうなる、という一般論をあてはめるには難しい脳のクセを持つ著者の、なりたい自分に近づいていく姿が具体的に書かれています。

 輝ける場所を見つける、というのは誰にとっても難しいことです。特に、日本で子育てを経験した方なら思い当たると思うのですが、横並びの意識があまりに強くて、とにかく子供には勉強させることが何よりも優先されるのですから、親子共々幸せについて考えているひまなどありません。

 栗原類のお母さんは、20歳で海外に出て、その後、シングルマザーになった方なので、視野も広く、経験もあり、なにより、自分の幸せについて、とことん自分で考え抜くという姿勢で生きています。当然わが子にも、的外れな価値観を押し付けるのではなく、本人の好きな道を歩ませ、そのために脳のクセに合わせて相当なサポートをしてゆきます。

 人のサポートが大切であること、努力をすること、心の声に素直になること、長い眼でみること等が、栗原類のドキュメンタリーを通して、具体的に分りやすく描かれています。

そして、その生活ぶりの華やかさや、ちょっとまねできない行動力、が、栗原家!ならではでした。

大変おもしろかったです。


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by ihatobo | 2017-10-30 09:06

『家族依存症』(斉藤 学 1989・誠信書房→ 99・新潮文庫)

 著者もまた、連載コラムを読んでいたので、文庫化されたのを機会に、買ってきて読んだ。今回は、各回に小見出しがタイトルされていて、シンプルで共感するものが多かった。(東京新聞90年頃に1年以上は続いただろうか)

 当時、自身の問題として、母親(母性)を何とか自分の中で、対象化したいと思っていたので、コラムを愛読し、本書を読んだのだ。一般に母は子を大切にし、生き甲斐にするもの、と思われているが、私の認識は異なっていた。それは、不満とかではなく、不思議であった。

しかし、父親が本来の役割を果たさなければ、母性も輝くはずがない。私の父は単身赴任で、中学の頃から家にいなかった。その後、私が高校の頃に、家族は赴任先へ引っ越し、私は単身下宿生活となった。

 両親に、私の問題をぶつけてみようとなったのは、二人を介護するようになってから。その現場で本書に書かれていることは、私を勇気づけた。著者は、私より10歳ほど年長で親族の伯父を思わせて親しく読んだ。

 さて、本書は前回、触れた社会の最小単位である家族を、心理学の所見を使って、分析している。

 家族の面々と、問題を抱えている方にも、オススメである。







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by ihatobo | 2017-10-27 09:55

『社会学講義』(橋爪 大三郎 大澤真幸 他 ちくま書房 1993→2016年)

 吉見俊哉さんが連載している時事批評を読んでいるので、第4章「文化社会学」から読んだ。対面的な場と電子的な場に二重化している都市は、文化の多層化した場所だが、章タイトルでもある文化社会学は、文化の集積した都市を扱うのではなく、同じことだと思う方もいるだろうが、順番が違うのである。

 要約して本文以上に短くすることは出来ないので、本書を読んで下さい。144168P、新書で24P分である。立ち読みでも可能な量である。

 他に概論から始まり、つまり、社会現象を人間の本来的な営みに照らして、政治、経済、法学と渡り歩きながら、その本来的なあり方を人と人の関係であるとし、それが生み出す制度、システムの考察へと至るのが社会学である、というのが第1章である。

続く第2章は、そもそも社会学とは、何を基準として、何の必然性があるのかを問う。

3章は都市社会学で、次章と共に繰り返し論を展開して、「構造」的に社会学を位置づけようとする。いわば「社会学」学。

そして第5章に再び社会の最小単位である家族に戻る。家族は、経時的に人間が共に暮らす場なわけだから、一切社会の事柄は脇へ据いて…と。

 このように、周辺の事実を集め分析し、その営み自体を持って学問とする、という込み入った論述が、他章も含め、本書の形を造っている。

 私は、その都市で文化を扱う仕事を続けて来たので、スタッフやお客様、商店主たち、私の家族、親兄弟に説明する際に、大変便利な本であることは確か。それと、コーヒー屋さん食材屋さんも。その説明をしながら、店を運営しているのである。


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by ihatobo | 2017-10-23 09:56

『新劇製作者』(水谷内 助義 一葉社 2017)

 阿刀田高が、物語の役者は、その陰に自らの自慢話を隠してはならない、というような意味のことを文学の夕べで述べたそうだが、本書はその物語のライブである芝居の制作者、水谷内さんが時々、書いていた文章を集めている。

 彼は1965年に劇団に入り、やがて「製作」といわれるようになるセクッションを任される。この時代、どの劇団にも、その役名はなく裏方とか営業部といわれていた。つまり、どの台本を選ぶか、どの作家を原作にするか、小屋はどうするか…といった、いわば劇場公演に向かう下ごしらえをやっていた。

68年には、後の「自由劇場」の佐藤 信に“一緒にやらないか”と声を掛けられ、前年初演された安部公房の「友達」を「青年座」で公演することになる。

 その後、製作部はプランナー、69年には俳優を育てる養成機関、つまり学校を作り、「ここから演出家や装置家、製作者」が育つことになる。こうした内容を持つ「つぶやき」(04年「テアトロ」掲載)から始まる本書は、裏方の実践記として貫ら抜かれている。

 貴重な記録であると同時に、匿名に絞った著者の情熱が、ほとばしる、ある種の叙事詩である。

 書店で、手に取って見てください。端正な本です。


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by ihatobo | 2017-10-20 09:40

『恋する理由』(滝川クリステル 2011 講談社)

 フランスびいきの私は、当地から発信される音楽はもちろん、映画、文芸、ファッション、風俗など様々な文化現象に関心を持っている。

かといって、その文化のコアである仏語を知るかといえば、カフェ・オ・レ、トリコロール、アムールぐらいが、せいぜい。しかし、繰り返し関心を寄せていると、おぼろげながら、彼の地の輪郭がつかめてくる。

 本書は、“日仏のダブルアイデンティティとして生まれた”(帯の部分)著者の初めてのエッセー集。とても歯切れのいい文が、集められている。一言では説明できない、文化現象を短く紹介している。しかも、彼女の女性としての見方を、手際よく披露。そして何より、両国語で記述されているコトバは、新鮮で未知の領域の事柄でも、日本語で理解できる。

 例えば、エレガンス。普段、意味も分かって使っているが、それは「何だか、素敵」だし、その為に「自立」していること、「自由」であること、そして、それは「神秘的」である、という一連のコトバを含んで仏語では使われる、という具合に、私にもハッキリと理解できるのだ。

 他にも、たくさんのコトバが、フツーに理解できた。「シック」とか…。

是非、読んでみてください。巻末に日仏の「女性解放運動の歴史」が、これも短く、分りやすく収められている。


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by ihatobo | 2017-10-13 10:34

『いたこニーチェ』(適菜 収 朝日文庫)と『遠野物語』(柳田 国男 角川ソフィア文庫)

 いよいよ、私たちの店も開店40年を迎える(105日)。それにちなんで、東北地方をめぐり、各地域に伝わる民話を集めた『遠野物語』を紹介しようと考えたが、実際に読んだのは、もう少し北の物語。

 下北半島の恐山のいたこ(霊媒師)を狂言まわしに使ったF・ニーチェの解説・解釈本。

 鈴木大拙から逃れ、麿赤児へ至ったが、禅は紹介が出来ない。そもそも、紹介されるようなものではない。ギブ・アップ。そこで、40周年に借りて、本書の紹介に落ち着いた。


 しかし、言ってみればニーチェほど扱いにくい対象はないわけで、著者も、いたこの力を借りたのだろうと思う。「神は死んだ」とニーチェは書いたが、その神を彼は定義している。


―「神は本来、民族において民族の強さや民族の権力を、求める感情(!)である」(227P)― 


 「」内は句点で切って、フレーズを並列に並べると分りやすい。独語なので、主語が「感情」である。というのは、神は死んだのであり、感情も、いつ消え去るか分らない。神(権威)は横を向けば無くなる、ということだ。

しかし、神⇔感情というところが、ニーチェの凄いところ。にしても、神⇔感情は民族に関係しているのは確かだ、と言及しているのだ。危ういヤツに変わりはない。


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by ihatobo | 2017-10-06 10:19