新聞書評で気になっていた西だったが、丁度新入スタッフの面接で名前が上がり「私、読みました」ということで借りて読んだ。
するするとページは進んだが、主人公がいうように芸術性があり、というよりも本書は芸術としての小説である。美しい。矛盾していない。
しかし、その物語の中から唐突に作者自身が直截にメッセージを語る場面もあり、『ジヤリン子チエ』を思い出した。同じ関西弁だし。物語の終盤やはり唐突に鹿が現れる場面が美しい。
作者は経歴に中東地区で幼少を過ごした、とあるが登場人物も国際的であり、生命的な動植物や食事に関する記述も美しい。
父親が主人公とその友人に込み入った社会の仕組みを、いちいち丁寧に諭す会話も機微に富んでいた。
一方須賀の物語の舞台はイタリア北東地域である。イタリアが植民化していたエチオピアも出てくる。
前回、前々回に触れたジプシーたちの居住範囲でもあり、『反音楽史』の主要な舞台である。
そのミラノの書店をめぐる人物住来記である本書は、しかし、70年代初頭まで続いた“カソリック左派”と呼称される、行動する知職人たちの社会運動の記録でもある。
私たちの店も書籍、CDを扱っているので、企画・出版・販売も作業していたこのコルシア書店の物語に、大変親近感を覚えた。
この本も美しく、そしてこちらはしづかな本でもある.
▲ by ihatobo | 2011-03-18 19:01