カテゴリ:CDの紹介( 26 )

『つづれおり―Tapestry』(キャロル・キング ode/sony 71年)

 「ミュージック・フェア」といえば、当時(70年前後)ブームだったキャロル・キングは出演したのだろうか?もっとも彼らは国内のミュージシャンも含めて、TV番組に出ない、というのが暗黙の合意だったから、日本の画面に彼女は出なかったかも知れない。
本作が何故ブームにまでなったか、私は調べていないが、その音楽の質が良かったことがひとつ。
そして、本作のカバー写真に映った猫の巨大さが、イッツ・トゥー・レイトに織り込まれる猫の鳴き声が、耳目を集めたのは確かだと思う。
ジェフ・ベックの猫も写真で見たことがあるが、あの長身ベックが下腹あたりで抱えて頭が彼の顔と並んでいた!
日本では遠藤賢治の「カレー・ライス」がヒットしていた頃である。
エンケンの猫の名はネコである。「ネコ、ネコ、あれが太平洋~」と彼は歌った。
さて、キャロル(とG・ゴフィン)の曲には暫々「教会旋法(チャーチ・モード)」と呼ばれる音階が使われていて、近代的な意味での“コード進行”が最終的に途切れてしまう。
実際の演奏は、そういうわけでフェイド・アウトか、“アーメン終止”で締めくくられている。
それが、まさにポップであった。
 更に、歌詞が日常ではいい表し難いコミュニケーションの“あわい”を見事に歌うために、そこにある。
一旦「愛」に踏み込んでみると、誰しも身心は“覚束ない”
エーゴが不得手なので超訳すると

ー 発語されなかった、この夜のコトバ
  you say that I'm the only one
  でも(いま)私の心は崩れている
  夜が更けて、朝の陽が上がっても?
  (ウィル・ユー・スティル・ラブ・ミー・トゥモロー 62年作)

日常会話では「不安なの」と女がボソっと発話する場面である。
サイモン&ガーファンクルの回でも触れた(ハロー、ダークネス、オールド・マイ・フレンド)けれど、語の順番や構文、時制がこみ入って、歌われることが主眼になっている。
日本語の直訳は

ー 今夜は一言もしゃべらずに
  私がたった一人の恋人と、あなたは教えてくれた
  でも、私のハートはこわれるかしら?
  夜が朝に出合ったら

である。

 説明的、論理的なコトバで本当に思うことが実行されても公衆(ポピュラリティ)は離れてゆくのは、当たり前。
ポップ!でなければ。


 

by ihatobo | 2014-07-12 02:17 | CDの紹介

『Getz/Gilberto』(Verve 63年)と『プルースト・印象と隠喩』(保莉瑞穂 97年 ちくま文庫)

何年かの間隔をおいて、何回目になるのか、先日、本作を買ってきた。イヴィ・メンデス同様に、街のコーヒー・ショップで聞いたのがキッカケ。
ドキドキしながら店でかけてみる。
思ったより古くない。そして、ゲッツの音である。
こんなに鳴っていたという(再)記憶がない。
長谷川きよしがどこかでいっていたように、曲が短くない。(「聞いていたものを、改めて聞いてみると、当時聞いていた時よりずっと短く聞こえる」)
そして、その頃の「サンデー・サンバ・セッション」を想い出す。

彼は「別れのサンバ」でシーンへ登場したあと、この頃(76年)下北沢ロフトで、同じタイトルの連続セッションを開催していた。
想い出す、といえば、一時期フローベールをめぐって、「想起」という批評の用語が流行した。

ー(プルーストは)無意識の再記憶の上に全芸術理論を据えると明言した。(『プルースト・印象と隠喩』保莉瑞穂 ちくま文庫)

本書の文は固く、「何のこっちゃ」と思うだろうが、中上健次の回で触れたように、記憶、コトバ以前、イメージ以上の”あわい”を、この文では「無意識の再記憶」といっているだけで、はなはだ覚束ないが、そのスキマに「理論」を据える。と、プルーストが書いている、と伝えている。
『失われたときを求めて』でよく引用される描写である「紅茶にマドレーヌを浸したとき」に想い出される記憶の叙述、という解説は、この事情を語っている。ちなみに原文は紅茶ではなく、煎じ茶らしい。

フローベールに戻ると、先行作品を読むに当たって、一般の世評ではなく、自らが作ろうとする作品に向き合うが故に

ー(文芸批評の見地からみて)二つの影像、二つの観念のあいだにある、もっとも重要な関係の知覚。存続させる状態

ここでいうスキマである。
フローベールは先行作品(G・ウルヴァル)を読み解くに当たってそう述べている。

ーまえの作品の終着点であった狂気は、あとに続く作品の出発点、いやその素材にさえなるのである。(『サント・ブーヴ』保莉の前掲書より)
ゲッツの音の(再)記憶から、長い文が引き出されるのだが、次回に。




by ihatobo | 2014-06-25 21:54 | CDの紹介

『CHANSONS ET BALLET / フランソワーズ・サガン、ミシェル・マーニュ』

前回のロブグリエが『消しゴム』(53年)を出版した次の年、F・サガンは『悲しみよこんにちは』でデビューする。彼女は、その前後期に作家活動の他に、シャンソンの作詞やバレエ作品の発表もしており、それらの音源が今回CD2枚組で発売される。前回紹介した『覗く人』(55年)も映画化されているらしいが、『悲しみよこんにちは』もアメリカで映画化されている。
他に『ブラームスはお好き?』も映画化され、その主題歌がCD2に収められている。
ここには、バレエ作品の際に舞台で朗読されたサガン自身の声質も聞ける。そして、この舞台の演出はロジェ・ヴァディム。DVDがあれば…とも思うが、これだけでもワクワクです。
当店で売っています。ブックレット付き。良い。

ところで、1960年前後期のヨーロッパ映画は、私の世代では70年代に入ってから、TVの深夜放送で放映されていた。
私は出不精で、人の集まる映画館やコンサート、スポーツ、美術館といった場所に出掛けることが、極端に少なかった。
娯楽といえば、TVだけだった。
これらの深夜放送を、だから比較的よく観ていたのだと思う。
そのTVで、淀川長治がナビゲーターをしていた「金曜ロードショー」が始まったのはいつだったのか、彼の番組は、ハリウッドを初めとする英語圏の映画が多かったように覚えている。
というわけで、イタリア映画『ひきしお』の原作を買ってきて、次回に紹介しようと考えている。変形綺譚であるのだが…

by ihatobo | 2014-05-14 21:02 | CDの紹介

寺尾紗穂『珈琲』

寺尾紗穂が歌う、『あなたに別れを告げましょう』(彼女の最新作『珈琲』MIDI MDCL-1541 13年)に収められている「ブラジルへ」は、どうやらカップルの破談を扱っているらしいが、和音が往復してビートを作っていて、明るい。
カップルの破談は、どちらにとってみても哀しさや憎悪があるものだが、この曲は明るい。
それは、「命」や「永遠」によって担保されているのだ、と私は思う。(〜この実を花束に忍ばせて/あなたに別れを告げましょう)
一緒に「住む」ことと一緒に「生きる」ことは異う。命/永遠がある時に共有されれば、別々の人生を生きようが、互いのなかに強さが生まれるのではないだろうか。
歌もそれを聴く人のなかに、シンプルな共感があるから、複数の人々のなかでも命/永遠が共有される。
歌の力である。

by ihatobo | 2014-02-19 21:41 | CDの紹介

『ザ・ジャズ・ピアノ・オブ』『アローン&ライブ』(ジョン・コーツJr オムニサウンド 77年)

1970年前後期にそう呼ばれていた“ニュー・シング”な音楽は、フォーク(民謡)から「終ってしまった」クラシックまで、各々が世界の前で歌われ、演奏されていた。
ここ最近になって、それらのアルバムをかけることが多くなり、お客様の問い合わせも多く寄せられている。
先日亡くなったピート・シガーはまた別の成果を私たちに残してくれたが、ボブ・ディランにエレキ・ギターを持たせたトム・ウィルソンは、同時にヴェルベット・アンダーグランドを世に問うた。
ビートルズのホワイト・アルバムが物議を醸し出した頃である。
つまり、フォークもクラシックも混在していた。
ナナ・バスコンセルスのサラバ録音AFRICADEUS(リアリゼーションにミシェル・ルブランが参加)イタリアのDNAのJUMBO(伊メロウ/フィリップス72年)マルク・ムーランSam Suffy(CBS 75年)…
そのなかで、ひとりで“全て”をやろうとしたのが、キース・ジャレットだった。サムウェア・ビフォ(ディラン)を始め、自身のヴォーカルを含んだ多楽器アルバム(ヴォルテックス)そしてソロ・ピアノによるFacing You(ECM 72年)へと、彼は登り詰めてゆく。
その彼が「インスパイアされた」のが、ジョン・コーツ。
今回その余波を受けてアルバムになった2枚が、遠い日本で再発された。
弾いているジョンに去来している混在が聞いていると分る。
ビアノ・トリオとソロ、とても良い。
しかし、このように辿ってくると、エリントン、ミンガスと何よりもニューオリンズ、ヨーロッパのモダーンは、一貫して混在しているではないか!
当店で聴けます。そして、手に入れることも!(税金は当店で負担します。)

by ihatobo | 2014-02-14 22:55 | CDの紹介

『ハッピー・ランチ』(前野健太 フェリシティ)

年の瀬が迫り、私たちの店が長く売り、店でも流しているミュージシャンの新作が次々と入荷しています。

前回の寺尾紗穂に続いて、第一作『コンポステラ/篠田昌己』(パフアップ1990年)関連アーティストよる『星空音楽会』が、やはり、長い共同作業を維持しているオフノートから発表になりました。
メンバーは向島ゆり子(バイオリン)関島岳郎(チューバ、リコーダー)と、中尾勘二が、ソプラノ、クラリネット、トロムボーンを吹いています。
音が真っ当に鳴っているのにアルバム全体に静寂がたちこめている。
慎ましさと信頼が、そこにはあります。
乱暴にいえば、寺尾同様100年以前の地域ごとのフォーク・ミュージックが、その楽器を通して地域を越え出てゆく、響きを実現しています。
その意味で、2010年の夏以来、私たちの店で鳴り続けているZAZの3作目『RECTO VERSO』(仏ソニー 13年)は、彼女の声と共にロックのフォーマットを借りて、より情熱的に鳴り響いています。
加えて、今年二作目となる前野健太『ハッピー・ランチ』(フェリシティ)が、前作『オレらは肉の歩く朝』同様にジム・オルークとの共同作業で、より緊密で抜けた作品になった。
「肉」を「裸」とすれば「裸のランチですよ(笑)」と前野がつぶやく。
当店で売っています。よい♡っス。

by ihatobo | 2013-12-24 20:58 | CDの紹介

『版画 珈琲物語』その2

寺尾沙穂の『珈琲』(全6曲、リーダー作品)と、コーヒーの
伝播、伝来の歴史物語に想を得た、奥山義人による版画を
収めた映像(DVD)のカップリング作品に続き、その映像の
サントラ(寺尾の作・編曲、演奏)が、単独で発表されている。
これが実に良い。
俗な形容をすれば、百年以前の"現代音楽"黎明期の
レア物発掘作なのだ。
タッチが荒く、しかし、芯が鳴っている。強いていえばジャズ・
ピアノの音色である。ビート、ドライブ感が伝わってくる。
つまり、百年以前のポルカ、マズルカやワルツといった
パーティー・ミュージック。加えてマーチ(行進曲)あるいは
パント・マイムや人形劇の伴奏、無声映画、芝居の伴奏音楽など
身体を含む表現のステージが、この作品を聴いていると
目前にくり拡がる。俗語だがソニ(音)マージュ(像)である。
ただ、コーヒーの飲料としての発祥が、山火事におけるコーヒー豆
の焙煎で山羊が興奮し、かぐわしい香りが辺りに
立ちこめた、というのは、私達現場の人間に一蹴に
伏される筈である。
豆は洗われ乾燥され、焙煎され、グラインドされて湯を
注がなければ「かぐわし」くはならない。
強いてその発祥神話を解釈すれば、その山火事で
焦げたコーヒー豆に興奮した山羊が、足踏み鳴らして豆を砕き小便を浴びせ、
普段は臭い尿が、その時、丁度いい具合に湯を
注いだ状態になり、臭いどころか「かぐわしい」香り
となった、とすれば充分筋の通った"物語"になる…
ともあれ、本作品は上質の(音楽)演奏が収められている。
年末の推薦、いや、13年のコレ一枚である。

by ihatobo | 2013-12-20 21:27 | CDの紹介

02年の『草の匂いがする声』

 前回は25年来のお客様との間に、一枚のCD(「ZAZ」)を通じて“事件”が起きたのだった。
 「新譜と新刊」を追って34年になるが、そうした偶然でもあり必然でもある“事件”を共有できるのは嬉しい。
 ただ私の方は必然の側であり彼の方はやや偶然の割合が高い。しかし、そのバランスと“事件”は因果を持たないと思う。単に「ZAZ」が良いのである。
 声、フレージング、恐らくは手練れたちのバック・アップ、それらの持つ速度が既に高速を越えられるかのような音楽を造っている。
 さてその販売当初は見逃していたアルバムを二枚、今回紹介したい。こちらはスタッフ持ち込みである。
 「反射された光」あるいは「光輝く霧」という意味の中央南部アフリカのマラウィ出身のmalia02年盤、「黄水仙」(エピック・ソニー、7092)がよい。彼女は旅先のNYでライアン・フォーリィを聴いて、そのプロデューサーであるアンドレ・マヌキアンにデモテープを送ったという。
 アンドレはバークリー音楽院出身であり、送ったテープは40曲のジャズのスタンダード曲だったらしい。私はこのテープも聞きたい。本アルバムには「インディア・ソング」の他、名曲「ソリテュード」(レディデーのサンプリング入り)ナット・コールの「キサス・キサス・キサス」が入っている。
 もう一枚はやはり02年のフレッシュ・サウンドのニュー・タレント・シリーズ『ルーツ・ブランチェス・リーブス/ジョン・エリス』。
 何故か2010年の今年、私はこうした草の匂いのする声を気に入っている。

by ihatobo | 2010-12-11 11:09 | CDの紹介

新譜紹介「ZAZ」

“情報”収集に消極的な私は新プに関しては店頭のポップは見るが視聴して買う人で、この所それもサボりがちだったが、この「ZAZ」(ソニー・フランス、88697744732 10年)には驚いた。F・アルディ以後当りがなっかたがコレは久々の出だし3秒盤。
 この店にもう既に25年程通ってくれているSさんが、久しぶりに来店したので最速かけた。他のお客様達が去り、テーブルを片付けに行くと、珍しく彼が声をかけてきた。(彼とも25年の間注文と季節の挨拶程度の会話しかしていない)
「私もコレ買いました。(試聴機で)聞いて気に入ったので」
 この所、こそこそとジャズを聞いている私達は、この盤は共有されていないだろう、という私の予想を、彼は見事裏切ってくれた。
 というのもこの店は開店以来新譜・新刊を追って来ていて、その事情は彼も知っているのだが、この所の秘かなジャズ愛好で消極的な共有があり、それに対して、互いに嫌気がさしていた面があったのを、このアルバムが吹き飛ばしてくれたのだった。
 久し振りの呑気・元気・素直盤だ。

by ihatobo | 2010-12-04 21:30 | CDの紹介

Her One and Only Dream

『彼女のたった1つの夢』ノート

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11月28日全国発売開始の『Her One and Only Dream』
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 本アルバムに収められた演奏は、一般に“フリー・ジャズ”“即興”と呼ばれ、それが“難解”や“感性の露出”と形容されたり、“解説”されたりするが、以下に述べるように、シンプルにジャズの一形態であると考えてさしつかえない。
 その呼称や形容は、その草創期の取り巻きや制作者の間にキャッチボールがなされた痕跡で、呼称はもちろんとりあえずの呼称であった筈で、他にニューシングス、集団即興演奏など英語、訳語を含め様々な呼ばれ方をした。
 だからその呼称、形容を含めて当の演奏とは、“当たらずとも遠からず”の距離があった。
 しかし、そのことは良し悪しの両方があり、特にここで揚げ足をとるつもりはない。ただ、それらの痕跡(解説された文や作品)が長い時間を経て独り歩きを始め、必然的に「神話」化され、その「神話」もその抽象/具象の様々な階層構造を持つために、多様の「解釈」を呼び込み、それらの全過程がスタティックな権威に逆戻りしてしまうのでは本末転倒である。それは“フリー・ジャズ”ではない。
 私の取材に鷲頭が答えたように、それは「瞬間に生まれ、消えてゆく」のである。
 ジャズはその発生当初、歌(旋律)やダンス(リズム、身体的アプローチ)と併走しながら始まった音楽であり、あるいはパレード・バンドのように外部をその範囲で取り込んで独自の形態を確立した。
 その後に近代テクノロジーによって“鑑賞”音楽として自立したのがビーバップである。しかし、その内に歌とダンスを含んでいるために、その内訳を丹念に、あるいは極端に辿ればビーバップか“フリー・ジャズ”にならざるを得ない。
 それが“フリー・ジャズ”の「神話」化されない事実であり、本アルバムにはその事実が記録されている。
 しかし、ここに収録された演奏は、ありふれた日常を流れている時間とは別の、当事者たちによって構築された時間であり、別のコトバを使えばそれはフィクションである。
 映画や芝居と同じように、日常の外に造られたひとつの表現世界である。私達はそれを前にしてたじろがざるを得ない。
 特にそこに流れる時間を問題にしながら構築される“フリー・ジャズ”のミュージシャンは、過酷な<速さ>を要請されている。彼らはとても忙しい。それに私はたじろぐ。
 音楽の“三要素”である、旋律、和声、リズムが、価値だけを残して意味に追いつかれるよりも速く、それを振り切る、その<速さ>を維持しなければならない。
 「(演奏が始まれば)互いの音を聞いている」と鷲頭はいう。
 あたかも片翼50m程の翼を持つグライーダーを空中で維持(フィクション)していなければならないかのように力と徹底した冷静さが必要な作業である。
 そうして、聴くもの(聴衆とミュージシャン)を含めたその場所に「ジャズは自由」(T・モンク)がビルドアップされる。
 旋律を含んだ発声(コール)とその長さに導かれる④『Free P』はビーバップの名曲、ディジー・ガレスピーの『ソルト・ピーナッツ』が原曲で、彼の声が届いた距離を閉じるように<速さ>が演奏を締めくくる。
 鷲頭とは72、3年頃に私が雇われ店長をやっていたジャズ・クラブで知り合ったが、彼は当時、殆どのドラミングをクリアしていた。
 今回初めてその経緯を尋ねると、現在までの期間、自分の教室を持ちながらライブ・シーンでの活動も維持していたという。
 そのなかで、彼とも私は旧知である中村達也とも2ドラムで共演しており、「リズムの構想は中村」が②『T's Theme』である。
 その②『T's Theme』と冒頭①『Her One and Only Dream』がまた別の階層で演奏される林栄一とのデュオである。
 当然だが林自身のビート感、音色が演奏をコントロールしており、コトバ伝いでいえば「時刻」よりも「光度」である。
 つまり“透明”のようなものが“構築”されており、響きが静止した「透明」の枠内で鳴っている。
 かつて終演後の林に対面で私は「響きすぎ」といい放ち、殴られそうになったが、そんなことを伝えたかったのだと思う。
 ③『Trienma』は作曲家として活動している野本正樹の曲で、言葉の意味は“三重苦”だが美しいバラード。
 ⑤『悪魔的循環』はまさに「神話」化されない「神話」のコンプレキシティがそのまま提示されている菊地潔の曲。題名とは逆のかすかだが光さす明るさを持った演奏になっている。
 最終⑥『Emergency』はトニー・ウィリアムス由来の演奏で私はデンキ!を感じた。
 「雷の音は、では自然音ですか電気音ですか」(滝口修造)である。
 しかし、以上述べてきたことは、音楽一般にもそのまま当てはまる。最近知ったポップ・ソングの歌手の発言を引用しておこう。
 彼女は音楽には「身をまかせながらも自由というありえない放任の約束がある」という。
 旋律、和声、リズムを親にたとえて、その子供が親の手を離し、「大きな世界へ一人で歩きだす、そんな自由な精神、自由な身体を」音楽に感じる、という。
 そこで初めて「感性が露出」し“物質化”する。それはしかし「難解」なのではなく、魅惑的な複雑さをたたえた構築物なのである。

by ihatobo | 2010-11-02 12:45 | CDの紹介