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『青い眼がほしい』トニ・モリスン (大社淑子訳 早川書房 2001年)

The bluest Eye by Toni Morrison 1970

わたし(クローディア・マックティア)が語り手になって――秘密にしていたけれど――で始まる物語『青い眼がほしい』は、アフリカ系アメリカ黒人女性作家として、初のノーベル文学賞を受賞した、トニ・モリスンのデビュー作である。

『ユリイカ』10月号の特集は、2019年8月5日に88歳でこの世を去った、トニ・モリスン追悼特集である。文芸同人誌『かわいいウルフ』の編者小澤みゆきが、この特集号に寄稿した、という縁で、私もモリスンの小説を初めて読んでみた。

読後の感想は、うーん、これを読まずに生きて来たとは……。小説とは何であるか?と問われたら、この『青い眼がほしい』を差し出せば、ひとつの答えになるのは、確かだろう。

冒頭の箇所で、わたし(クローディア・マックティア)は――あのすべての希望、恐怖、情欲、愛、悲しみの結果、ピコーラと不毛な土地のほかなんにも残っていないということだ(中略)しかし、“なぜ”の答えは出しにくいので、とりあえず“どういうふうに”を語ることにしよう――と言っている。

そして、“どういうふうに”は、貧しい黒人家庭の父親であるチョリー、母親であるミセス・ブリードラヴ、娘のピコーラを中心に、登場人物それぞれが個人の物語を物語ってゆく。

モリスンの、力強く、詩的で美しい文章は、選び抜いたモチーフを駆使して、あまりにも残酷で悲しい出来事を読者の前に立ち上げる。

 絶望しながらも、生きていくための何らかの糧を、それぞれが持ちながら、残酷にも時間だけは平等に過ぎていく。非常に入り組んだ感情が見事に言語化されていて、悲壮感はなく、自然の描写は美しく、ノスタルジックで、唸りながら物語を読み進めた。

「誰が、ピコーラに、本物の自分であるより、にせ物の自分である方がいい、と感じさせたのか?」(著者あとがき)より。

自分が何におびえ、何に息つまる苦しさを感じ、時として、虚飾を選んでしまうのか。見えない他者に優劣をつけられ、本物の自分を見出す事も出来ないまま、なぜ必死に生きているのか。

 小説にはならなくとも、ひとりひとりに、抜き差しならない物語があることは、確かだと感じた。

  投稿 木花なおこ 


by ihatobo | 2019-10-23 22:51