『名人』その1(川端康成 新潮文庫 1962→2004年)

 本作品は、囲碁の名人の引退碁を観戦した作家が、そこに繰り広げられる「静謐」な斗に感動して“一芸に執して、現実の多くを失った人の悲劇”を描いた「囲碁小説の金字塔」だが、それは到底、触れることが出来ないほどに緊迫した場面が展開されていて、実際に、その場に臨んでいるかのように圧倒される。

 その緊迫は、味わってもらうしかないのだが、さすが川端康成、という記述があったので、それを紹介しよう。それは、老化が激しい名人の体調を気付かった対局の世話人が場を思案する場面。何と写真の本質が、そこで語られる。

 まず初めに、写真には「気持ちは写らない」こと。

  ――ただ、私は使い方を大して間違わなかったので、レンズは、その性能だけ動き――

                                         とした。

 写真を写すに当たって、この認識は大変重要で、シャッターを開ける(押す)のは、ひとえにその瞬間であって、構図や採光、露出(時間)、絞り等々は二の次である。それらは、繰り返されたロケーションによって、既に写真家の中に蓄積されている。季節は秋の午前か午後か、風は、湿度は、といった具合に。先の引用は高橋恭司の発言だが、彼はワンカットを撮るのに、普通に1年待つ。

 さて、本文に戻ろう。

  ――死に顔の写真なのに、豊かさを、柔らかさのあるのは、レンズのせいかも知れない。――

 主人公は、依頼されて名人の死に顔をコンタックスで撮るのだが、失敗を恐れたための78枚を自分で眺めながら

――写真が、何か見てはならない秘密の象徴か、とも思われた―― 

                              と書く。

 普段、いい写真に出会うと“気持ちが写ってる”風な感想を述べる人がいるが、そうは決してない。

 続きは、また次回にしよう。まだ5分の1しか読めていないのだ。


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by ihatobo | 2018-08-31 08:46