『ドビュッシー音楽論集』(平島正郎・訳 岩波文庫 1921→96年)

 最近の私達の店は、すっかり先祖帰りしてジャズ喫茶になっている。それも、コンテンポラリー・ジャズではなく、古き良き「ダンモ」。

40年間、その時々の新譜をかけて来た当店としては、不本意でもあり、そのうしろめたさがないでもないだが、その40年よりも以前のジャズは、かけていなかった訳だから、私にとっては新鮮で気分がいい。いや実際、聴いていない素晴らしいアルバムが、まだまだたくさんある。という認識で楽しんでいます。

さて、そこで「ダンモ」の前、単にジャズと言われていた時期、つまりモダーン・エイジの前の音楽を、批評した本書を読んでおこう、というのが今回のテーマ。

今はクラッシクの大作曲家であるドビュッシーも、時代の新しい作品を懸命に研究していたことを示すのが本書で、作家自身が新しいものを求めて、論考を残していた。

その守備範囲は、当然19世紀から20世紀初頭の作品で、ベートーベンからワーグナー、リヒャルト・シュトラウス、グリーグ、ベルリオーズ、グノーと中学の頃、暗記して試験に臨んだ際の名前がズラリ並んでいる。

彼は、それらの作家の作品を批判的に読み込んで、自らの作品を作っていたのだろうか。

 その彼の作品の内容だが、例えば、ある聴衆のひとりがドビュッシーの「旋律を抹殺」しているのを褒めたのに対し、彼は「私の音楽は全て旋律でしかあるまい」と努力しているのですよ!と抗議していたという。(訳者による覚え書き)

 つまり、流動的な持続そのものが進行する時間のなかで「線的な声部の動き」が組み合わされて和音を形成し、音色に変化をもたらせ、結果ポリフォニックな響きが実現されている。

よりシンプルにいえば、心地よい響きがリズム/メロディ/ハーモニーに支えられているのが、彼の音楽ということになる。

 そして、それは取りも直さず私達が日頃、耳にしているポップスなのだ、と私は思う。クラッシクの批評言語は、耳慣れないかも知れないが、クラッシクは別に堅苦しいものでもなく、難解でもない。良いものは心休まるし、活力が湧く。

 というわけで、本書によって中学の教室に先祖帰りしては、どうだろうか。夏休みも近い。

 朝のラジオ体操でも、やってみたらどうだろうか。


[PR]

by ihatobo | 2018-07-04 05:24