『映画 誘惑のエクチュール』(蓮見重彦 ちくま文庫1983→90年)

 蓮見さんの映画好きは既に40年以上前からで、映画批評誌『リュミエール』の編集長を経て、最近は小説家でいいのだろうか。その彼の映像論の授業を、私は受けていた。メディア論だったか、評価はCを頂いていた。70年頃のことだが、朴訥とした語りを覚えている。

前回の『伯爵夫人』の際も本書を気にしていたのだが、今回やっと読んだ。「映画好き」ではなく、全行に愛を感じた。なにしろ…

その「愛」とは、映画に魅かれる、映画の仕組みといおうか、その源泉に分け入って、そのいちいちを物理的なフィルムの速度を分断、繋ぎ合わせ場面と音響の掛け合わせを、記号論の用語を使って秩序立ててゆく、という具合。

記号論は、言語学の一分野のようなもので、“意味するもの”と“意味されるもの”を分けて、前者が言語そのもの、後者がその内容といえばいいのか、当たらずとも遠からずという抽象的な論考で、例えばコーヒー屋で例えるとメニューにAと記されたコーヒーが“意味するもの”。その注文を受けた私たちのひとりが、レシピ通りに作業するのが、“意味されるもの”ということだ。

 喫茶店に入り、当たりをつけて注文。思った通りのコーヒーだったら、「コーヒー通」ということになる。そうした文が並んでいる本書を、ぜひ一度味わってみてはいかがでしょうか。

 その店、そのスタッフの手際も含めて、コーヒーの真髄が味わえること、間違いなしです。

 あと一冊、映画論集(ロラン・バルト)もある。


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by ihatobo | 2018-04-13 09:57