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『東洋的な見方』(鈴木 大拙 1963年→97、01年、2017年 角川ソフィア文庫)

 禅に関しては、遠巻きにして、解説の類は見て見ぬふりをしていたのだが、『禅的生活』(玄有宗久 ちくま新書)を読んでから、禅僧の修行/学びの過程を描いた「十牛図」や禅句集を徐々に眺めるようになった。

 本書はそのなかで、分りやすさでは群を抜いていて、『禅とは何か』と共に読んでみたい、と思ってきた本である。

私の若い頃は、海外の要請もありブームが起こり、「前衛ジャズ」のゲーリー・ピーコックなど、京都にやって来て参禅、アメリカのヒッピー文化の担い手たちもやって来ては、ライブ・ハウスを造るといった状況を呈した。

東京の田舎者たる私も、京都へ度々、出掛けた。2月に亡くなった清順の「東京へ」である。弟などは学校を京都に決め、下宿生活を送っていた。彼は将棋を趣味とし、暗かったが、今、生きていれば、若い棋士の活躍を喜んだであろう。


さて、本書の分りやすさは、著者がその外国暮らしをしながら、禅の普及に努めたから。禅の難解な用語も英語になると、その機能性を発揮して、大変馴染みやすくなる。例えば本書冒頭に出てくる、「物がふたつに分かれてからの~」にダイコトミィのふりがなが、ふってある。

これは事実を基にした、西欧の文化(科学)に対抗する、東洋の基底を証明する件で使われるが、「咲兆未分以前」が、それに当たると著者は、あえて説く。

つまり、“dichromatic(二色の)以前の色ということは、何色?”というのが、論の進め方である。めんどうくさい。短気の人は、「あぁ、もういい」ということである。dialogic(対話)も禅の世界では、自分の中の対話となる。さみしい。

 それを以って、禅ダイアログという言い方も出てくる(24P)。その単独の上に、禅は成り立っている。(天上天下唯我独樽)

 ともあれ、私が禅に魅せられるのも、「不立文字」からである。コトバ少なく静かで、黙っている。宮澤賢治のようではないか。あ、順番が逆か。いや、それもそれで、いいか。


 矛盾やら、誇張やら、放言やら無意義の文字などで、充たされているのが、「禅録」なのである。

 また次回に…





by ihatobo | 2017-09-15 08:59