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『ゆかいな仏教』(橋爪大三朗 大沢真幸)

 仏教は、仏像、寺、除夜の鐘、花祭りなど私たちは、すぐにイメージを描くことが出来るほどに、よく知られているように思っているが、実は今、上げたどれにも仏教の本質、仏教らしさはないそうである。本書は、そうして浅い認識を深化させて、本質に迫ろうとする概括書である。
 そういえば、外国の方などに説明する場合に、とかく、その浅い認識に基づいて寺に案内して境内にある墓で、線香を焚き、鐘楼で鐘をついてみせる程度である。手を合わせるなど。

 しかし、国内にあるキリスト教会へ行ってみれば、何か妙なる音楽が聴こえてきそうな雰囲気のなかで、どの教会でも同じ格好をしたキリスト像に、手を結び、手を合わせる。祈りの言葉はあるが、聖書の棒読み、お経のように長くはない。どちらも同じような事をするが、何かが異なる。
 本書が教えてくれるのは、仏像がうっすらと笑みを浮かべているのに対して、キリスト像は頭を垂れ苦しそうである、と。そして、祈る側の私たちは、その際に受け取るメッセージが真逆の印象を受け取るはずだ、ということが述べられている。
 つまり、仏とは、いつの時でも自らのサトリを開くことに価値を持っているのに対して、キリストは神自らが原罪を償ったから、首垂れている。その信柳者の姿が導いたから祈る、という。キリストは、神が受肉した人間なのである。

 その側で滋悲深い。
 それに対して、ブッダは、どんな人間でも修行してサトリを開くことが出来ることを、前提にしている。あの笑みは、“だから、しっかり”という意味だそうである。
 即ち、仮の姿であっても神はキリストに宿っているが、仏はサトリを開いたら、後はもう知らないよ、自分でどうぞ、という。核心は「空」なのである。トホホ。

 対談者、橋爪はポップ・カルチャーまでを研究対象にしている。片や大沢は、思想/哲学を対象にしている、共に社会学(社会という現象を科学する)者である。
 入り組んではいるが、大変軽い語り口の対談である。仏教系の出版社、サンガから13年に出版された。

by ihatobo | 2017-03-17 05:10