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『生存教室』その3 - 『フーコー』(ジル・ドゥルーズ 河出書房新社 1987→99年)

 ところで前回の対談者、内田は、武術家(合気道)でもあるが、本来、学者(哲学)である。
 私の哲学理解は、ニーチェを読み解いたジル・ドゥルーズに依っている。ヴィトゲンシュタインと共に、誤解であるやも知れないが、ドゥルーズの著作は複数を詳しく読んだ。そこで、哲学ではないが美学系の著述家、ミシェル・フーコーを彼が読み込んだ『フーコー』を紹介したい。
 本書で内田が、光岡を発見したように、ドゥルーズもフーコーを発見したと私は思うからである。本書は当初の動機として、私の苦手な思索家であるフーコーを、ドゥルーズに解説してもらおうという魂胆であった。
 しかし、今回再読には至らず、本文中のキーワードを選び出し、私なりにドゥルーズの思考の地図を作ってみようと思う。
 例えば、『生存教室』に度々出て来る果し合いの場面は、仕掛ける相方と、それを受け、かわす方が双方で交替し、結果どちらが勝つというカタチの中で進行する。その果し合いの中で、体験知が斗いの現場に呼び出され、双方の身体は空洞化する。
 その場面で、交換されているのが「パッション」である。その場面の中で様々な時刻が用意され、それに対しても双方はその都度、各々の技術を組み合わせ斗う。

 前二回に渡って辿って来た、技術の伝承・伝達が、この『フーコー』でも述べられているのだ。
 そして私たちの店にひしめく多様な技術も、そのように伝わり、あるいは突然変異を繰り返しながら、私たちの記憶に蓄積されるのだ。
 日々の店の営みにも、役立つ本たちである。

by ihatobo | 2016-02-08 10:17