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『謎解きはディナーのあとで』(東川篤哉 小学館文庫 10-12年)

 私は縁あって、彼と同じ研究者を通じて彼女の日常を知っているが、その研究者を、長い期間、眺めていた私にしてみれば、「自分」に浮かび上がっている主題は、ミステリー小説にでも仕上げるより他に手はない。
 その作業は東川に任せるとして、作家の孤独を救うことには、ならないのは当たり前。つまり、このスーパー・レディの資力を以て現世が一新されれば、現在の人々は真当を手に入れることができる。そうなれば、殺人や抗争は遠景に退き、子どもが生きられ、その子どもも子を生みという真当が継承される。明るい。
 さぁ、作業は若桑や東川に任せ、事情はあるにせよ、子作りに励もうではないか。
 一新されるとはいえ、世界は消えて無くなりはしないのだから。
 ともあれ、本書も「消えて無くなりはしない」が、読み手にとってみれば、自分の中に既に入り込んでいる論理的な思考方法さえあれば、消えて無くなったとしても、私は安心である。ヒット作だけに、さすが面白いです。
 だが、この物語の端々に記される事情を総合すると、この主人公は、その総資産を相続する立場にいるはずだから、世知辛い皮算用をしてみると納税時の総額は数千億!になるから、現実のスーパー・レディは忙しいはずである。怖いとか可愛いといった形容は、これからの事実群によって綾駕されてしまう。
 価値である金銭が世界を変えてしまう。
 そうしたポスト現世では、意味が混乱してしまうが、今回読んだのは『お嬢様とジェンダー』(若桑みどり 03年 ちくま新書)。
 若桑は美術史の研究者だが、こうして性差から導かされる女性に、 科学のコトバを差し入れて、再び男と女の真当を記述している、彼女の作業には意味がある。

by ihatobo | 2014-12-01 19:21