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『フランス文学と愛』(野崎 歓 講談社現代新書)

自分が知っている作家は当地(歴史)や、日本ではどのように受けいれられ、私自身の読後の印象と、何か共通するところがあるのかを知りたくて本書を読んだ。
冒頭から、名だけは知っている、とか、作品のタイトルだけは知っている、固有名が並んでいたが、ぐんぐん読める。分り易く読み易いのだが、それとも少し違っている。
結局読み終ると、その固有名中でも「愛」をめぐる三人の作家は、いづれも何作も読んでいて、あァそういうことだったのか、と、自分の記憶やコトバが様々に浮かんでは消え、また異る色合いを見せて広がった。
その中でもマルグリット・デュラスの作品は比較的数多く読んでいて、最終章に至って、私の最近の興味、関心の方向に理由を与えてくれているようで秘そかに高揚した。
前回の『ヴァイブレータ』(赤坂真理)の中の一節に見覚えがあったのだが、それがサルトルの言葉だったことも確かめることもできた。(『女ざかり』シモーヌ・ド・ボーヴォワール 1960年)
「自由」を、互いの間で「掟て」にすることの馬鹿らしさを、私は店の運営や、当時から評されて伝えられる「ジャズは自由」(セロニアス・モンク)の言及で、その都度確認している。
その文脈でサルトルは「僕たちの恋は必然的なものだ。だが、偶然の恋も知る必要があるよ」と言ったことを、ボーヴォワールは伝えている。
「ジャン・ポールはそこで間違ってしまった」とモーリス・ブランショもそっと証言する。
さて、本書に戻る。
では、恋愛関係にあるふたりにとって、どちらかの“浮気”がトラブルになるのは、本書冒頭のモリエールから一貫して報告され、各々にドラマが紡がれている、というのが本書の内容である。
しかし、ではそのトラブルはどう処理されるのだろう。
とても乱暴な紹介だが、その“フタマタ”を共存させる、つまり、どちらの相手についても本当に心を開いている、その事態に、では「私」はどう思うのか、ということだ。
そのトラブルについての私のフレーズは「心はひとつだから配って歩けない」である…
思いやりがしばしば相手にはプレッシャーになる現代ではあるし。

by ihatobo | 2014-01-22 21:42 | 本の紹介