『不連続殺人事件』(坂口安吾 1948→2018年 新潮文庫)

 本書は、新聞広告を見て、安吾の名は知っていたので買ってきた。彼が推理小説を書いていたのが意外だったので、それが動機だった。通読してみて、まず気になったのがキャラの数。しかも暗号(安吾)めいた名で、こりゃ面倒くさいなと感じ、その名を拾ってみたが数の多さに、そこで挫折。
 しかし、殺人というのは自殺、他殺、自然死しかないわけで、犯人探しを私も始めた。が、そのキャラクターには倫理は不要なので、誰が嘘をついても構わない。その真偽を確かめるのも面倒で、本文から離れた。読み終わってからの、お楽しみということにした。

 そこで注目したのが、連載時に著者自身が書いた付録。
 犯人を当てたら奨金を出します、というお遊び。どうも、この付録を含んで、全体とするように坂口は考えたようだ。
 そもそも小説は、大枠に起承転結を据え、主人公、キャラを設定し、場面展開をしながら、各々の人間の人格が描かれ、物語が進んでゆくもので、そこに作者が訴えるものや書くに当たっての動機が現れ、作品の個性が出来上がる。
 そういう意味で推理小説だろうが、「純文学」だろうが関わりはない。

 そして、更に本文庫では、巻末に編集者の戸川安宣と北村薫の対談を配して、以上の認識を更に、本作品に組み込んでいる。
 その対談に出てきたのが、前回扱った佐藤春夫で、坂口との交流を伺わせて、坂口の合理、倫理、秩序を称讃している。
 それが本書に厚みを持たせると同時に、ポップの安吾を浮かび上がらせている。
 細心の心構えで、じっくり読み込める小説で、オススメしたい。



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# by ihatobo | 2018-11-16 10:10

『晶子曼陀羅』(佐藤春夫 講談社 ミリオン・ブックス 1955年)

 宮澤賢治を応援した作家が、晶子の「像」を描こうとして関連書籍を読み漁り、彼女の詩(歌)を詠み込んだ末の本作は書である。いわば、足で歩いて取材した物語、その情熱が発散する本。

たとえば、今回読んだ『どこでもない場所』という作品は、そうした足で歩いたのではない、アタマで計算している。というもので、全く面白くない。「迷い巻き込まれてきた小説家」と帯にあるが、そのままが出ちゃって…アタマデッカイは恥ずかしい。

佐藤にしてみれば、晶子を対象とし主人公に据え、エピソードを選びながら、その背景を探る、そうして登場人物が深まり、愛のもつれによって彷徨の旅に出る。その結果が、より対象を複雑にし、主人公は「一身の事にかまけて」自分自身の人生の見通しを得る。

作中に、度々出てくる故郷や我が子を頼りに、人の道を歩んでゆく。しかし最大の獲物は、彼女の矜持の誇らしさだと、私は思った。カッコイイのだ。

佐藤は、それを伝えたくて、長い時間を掛けて、作品に向き合ったのだろう。それにしても、女という生き物は、恐ろしくも愛らしいものである。


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# by ihatobo | 2018-11-09 10:34

『私の生い立ち』(与謝野晶子・挿画 竹久夢二 岩波文庫 1915、14→2018年)

 歌集『みだれ髪』で知られる与謝野晶子のエッセー集。今から100年以上前の複数の少女雑誌に、寄稿された彼女のエッセーを編年で集めている。近代の黎明期は、女性を始め少女たちが、自らの作品を書き綴った時期である。

 識字率が低かったこの時期、著者は多くの本に囲まれた裕福な商家に生まれた(1878年)和菓子店である。しかし、世は日清日露の戦争を斗い、富国強兵。騒然としていた。親族、地域の人々の中に、戦死者が出たのだろう。少女は、ある晩――老ヒと云フこと死と云フこと――を考えたりする。

 そして、彼女の表現手段である文字(歌)に対するこだわりが芽生える。本書、巻末に100首が紹介されている。それを眺めると、そうした時代風景やそこに生きる人々の心情が述べられていて、彼女の素直さ、育ちの良さがうかがえる。

 『智恵子炒』で知られている智恵子は、その後、平塚らいてうが開いた女子大に学び、『青鞜』の表紙絵も描いたという。

 彼女らの故郷や「家」に対する気持ちは同じで、「新婦人」の一翼を担っていたのだろう。本書は、あらゆる意味で女性の真実に、迫ろうとする時代の要請に、応えようとしている。それは現在にも、生々とリアティを持っていると私は思う。

 「みだれ髪」にビートをつければ、フォーク・リングだし。


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# by ihatobo | 2018-11-02 09:33