『新年のご挨拶』

 明けましておめでとうございます。
 本年も、どうぞ宜しくお付き合いください。

 さて、年寄りが好きな本を見つけたので、ご紹介します。文庫本です。小説を含む、印刷された本から読者が気に入った章句を投稿する、という型式の本。
 面白くて、ついつい読み、考え、自分にあてはめてみます。
 次回に詳しく、お知らせします。


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# by ihatobo | 2018-01-05 10:03

『夜想曲』その3(カズオ・イシグロ 早川epi文庫 2005→17年)

 忙しさにかまけているうちに、クリスマスは過ぎ、年の瀬である。延々になっていた本書、五番目の短編「チェリスト」をやっと読んだ。設定は、夏の終りから晩秋にかけて、舞台となったのは、ヴェネチアである。

 二番目の「降っても晴れても」はスペインだったが、主人公はイタリアにも滞在して英語を教えていたりしていた。ヨーロッパ語は、同じラテン語をルーツとしていて、昔から現在のEUの諸国へ、いわば方言として定着していった。

 その歴史を生きるイシグロさんは、結果としては、EU語としての英語で、英文学を書いてきた。私から見れば入り組んでいて分かりづらいが、そうした事情よりも、彼の作品は話が面白い。もちろん、その事情も理解した上で読めば面白いのかも知れないが、私は英語も英文学も十分には知らない。

 しかそ、この短編には唸った。いちいち中断して、ひとつのステップを踏みしめて、頂上を目指すように読んだ。更に途中で主語が、複数に割れているのか、文がモザイクのように組み立てられているのか、ギザギザとページは進んだ。いや、岩壁を登っているようだ。

 丁度22日まで日仏会館でやっている、谷口ジローの世界展にも展示されていたであろう「神々の山嶺」『犬を飼う』(小学館 所収)を読んでいるようだった。才能ある人は、要するに変なのだ。

訳者の土屋政雄は才能の危険を言い、同業の中島は「イシグロは、やはり才能と音楽を類稀な手際で扱う」と書く。

 コーヒーや選曲は別として、私には才能はない。しかし、それを駆使して店をやっていく決意は固い。変だろうか?


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# by ihatobo | 2017-12-29 10:23

『カズオ・イシグロの世界』(詩誌ユリイカ 12月号 青士社)

 年末ということもあって、一年間の出版状況を概観するレポートが、新刊紹介ページに載っている。ベストセラーは、さておき、本ブログで紹介する新刊文庫が、大枠では点数も減り、売り上げも落ちている、という。

 そういえば、と思い当るところもあるが、賞を取った小説は売れて当たり前、にも関わらず、その単刊本も不振だという。本ブログは身の丈で紹介できるものを扱っているから、それらと関わりたくないといえば、関わりたくない。

しかし、本年のノーベル賞作家、カズオ・イシグロは例外。ここ20年くらいで、理解できた唯一の受賞作家である。


 そこで、彼の作品を詳しく知ろうと、本誌を買ってきた。冒頭に柴田元幸と中島京子を据えて翻訳をめぐる対談を載せている。彼らの、仕事上の言葉をめぐる問題や各々の作品論にまで、言及しているので、本気で読んだ。

 この特集に寄せられた各論も読み応えがあったが、なかでも「イシグロの内なる世界」とタイトルされた武富利亜が、心理学の知見を採用しながら「皮肉な矩離」というキー・フレーズを使って、日本の諺「子は鎹(かすがい)」からギリシャ出身のラカディオハーン(小泉八雲)までを持ち出して、「イシグロの世界」を論じたのは分りやすかった。

 次いで、中島彩佳の「カズオ・イシグロの小説における翻訳の名を残す」は、小説における言葉による伝達の可能性と不可能性を述べて、言葉というものが持つ「深遠」を、示唆しているのに引き込まれた。


 ところで、この論考を読むうちに日本の少女漫画のことが、思い出された。「少女漫画」の登場人物たちは、人種が不明確で作品によっては、年齢、性別も曖昧のままのものもある。何か英語圏におけるイシグロさんと同じような表現ではないか、と思った。

 以後、各論が続くが、中身が濃いものばかり。また、次回に紹介したい。

 夢中になっている間に、クリスマスも近い。冬に至る冬至も近い。何の因縁デアロウカ?




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# by ihatobo | 2017-12-22 09:02