『写真の時代』(富岡多恵子 ちくま叢書 1979年)

 本書は、友人の写真家に教えてもらい、読んで放っておいたもので、比較的、読んでいた作家のエッセー集。
 もともとは「カメラ毎日」に連載されていた時評で、それを編んだものが79年に毎日新聞から刊行された(連載開始は70年)。「丘に向かって並ぶ人々」他、何冊かの小説を読んでいた私は、写真家が富岡の名を出した時に、反応したのだと思う。前後は、よく覚えていない。

 今回、再読して分かったのは、私はその写真家にインタビューを申込み、写真についての何か本を教えて欲しいと頼んだのだった。だが、今回読んで驚いたのは、時評をはるかに超えた、写真の定義とも呼べる文の群れであった事である。
 道具であるカメラの構造、その「キカイ」性、つまり「自立性」から始まって、「写される側の表現と論理」といったコトバで、近代芸術にまで及ぶ論考が綴られている。

 ダイジェストを読みたい、ということならば著者自身による、あとがきが本書の充分な解説となっている(叢書版)ので、そちらを読めばいいが、14章からなる各々は大変滋味深く、ぜひ本文を読んでほしいと思う。
 件の写真家は高橋恭司だが、収録済みのインタビューには、本書とも重なる彼の発言が随所に、ちりばめられている。本のカタチに、ならないものだろうか。
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# by ihatobo | 2017-06-08 08:30

『人は どうして老いるのか』(日高 敏隆)その2

 前回の『カラス屋の双眼鏡』(松原始)の紹介文を書き始めた頃、ちょうど中国でシノサウロプテリクスという恐竜の化石が発見されたのを知ったのだが、この恐竜は羽毛に覆われているらしい。
 恐竜は、鳥とワニの中間のような動物で、2億130万年前から1億4500万年前のジュラ紀にペロキラトプスという肉食恐竜系から鳥類が進化したという。
 発見されたのは身長が約1mで、随分と小柄。イラストを見るとカタチは恐竜だが、なんとなく鳥を思わせる動物で、『カラス屋の~』でも触れられていた鳥の先祖説が、実証された衝撃的なニュースである。

 さて、人間の“老い”に戻ろう。
 ヒトは「どうして老いるのか」といえば、結論としては、ヒトという種の保存と発展に必然だから、ということになるのだが、ヒトには「ミーム」という「名を残したい」とか「名誉が欲しい」という欲動があり、利己をさらに現実的に考えると、そうした強欲によって生きている、とも解釈できるという。
 それはヒト自らが、自分を家畜化してきた故だ。つまり、本当は動物なのだが、自分に敵対する動物や飢えから、自分たちを守ろうとして家屋や社会を造ってきたからである。安全、安心であることは、人から野性を奪ってしまう。そういうわけで、ヒトは社会や、本当の自分を抑えてウソの自分を必死に造ってきた。

 その人生のなかで「嘘は、ときに人生に花を咲かせるが、その花は実を結ばない」(スペインのことわざ)。たとえ美しい時間が訪れたとしても、実を結ばなければ、子孫を残せないのである。意味が、なくなってしまう。
 その他、年齢による情動の活性/不活性の差が、不倫の背景にある、とかいうどうでもいい話も。あと、エティット・ピアフが捨てられていたパリのベルヴィル(貧民街)という街があるが、そこを舞台にした『ザ・トリプス・オブ・ベルヴィル』というアニメ映画がある。そのサントラ盤は、とても良い。
 私たちの店の小さなヒット・アルバムである。
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# by ihatobo | 2017-06-05 09:09

『人はどうして老いるのか』(日高 敏隆 朝日文庫 1995→17年)

 近頃は、初夏らしく、だいぶ暖かくなってきたが、夕方になって陽が落ちると寒い。朝晩は涼しくなったという夏の終わり、秋口の挨拶ではなく、むしろ夏の夕方のようだ。ときおり夕立もあるし、陽の名残りが漂っていて湿っている。
 こうした天候不順に、年寄りは弱い。父もそうだったが、今度は私自身が調子を崩した。加齢に従って様々な支障が出るらしいが、これも“老い”のバリエーションだと思って静観している。そうした“老い”に関して、バリエーションがあり過ぎて、総合的なものがない、と探していたら、ちょうど本書が出た。
 エッセーとはいえ自然科学者の記述だから、先ず“老い”の定義から始めるのだが、いわば、それはそれで一冊が終わってしまう。そのためか、鶴見俊輔、大江健三郎を始め、上野千鶴子、松原寿輝と類書は多い。

 本書は冒頭の「人はどうして老いるのか」から始まり、“加齢”と“老い”の異いから説き始め、種族維持のため必然であること、そしてドーキンスの利己的遺伝子説を踏み台に、個体がやりたいようにやる、つまり総合判断が一番といって、先へ進む。
 私はその件を、自然のままに加齢に従い、やがて自然のままに死を迎えられるのが一番。という風に理解した。更に内容は、より豊かになってゆくので、また、その2で紹介します。

 さて、近所で巣造り、子育て中のツグミの両親が、その後どうなったかというと、気づいて観察し始めてから、ちょうど1ヶ月の先週末に、子たちは巣だったらしい。食事の際の騒ぎが、なくなった。
 巣立ち、旅たちは、やはり淋しいものであるが、それは人間のことだ、と本書は教えている。
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# by ihatobo | 2017-06-02 08:13