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『ヒロシマ 私の恋人』その2

 恋愛映画、いわゆるラブ・ロマンスでは、行き別れた恋人を訪ねて、遠い外国へ旅立つ女性といった物語があるが、本作は戦死した恋人を想いながら、仕事で赴いた異国で、行きずりの男性と恋に落ちる。何と不貞淑な女だ、と反発するのも分かるのだが、何よりも強い恋の勢いを、作家が訴えたかったのも分かる。
 『ドクトル・ジバゴ』のように愛する妻がいないながら、旧知の女性と巡り合ってしまう場合もある。デュラスの物語がユニークなのは、冒頭に記されるように、互いの誠実がスレ違っていながら、男と女ではなく、互いの人間としての魅惑が、素直に強調されていることにある、と私は思う。

 その1で触れたように、それはテキストの最終部分に端的に記されている。どこの国の人間でも互いに見つめ合うための価値観は共通しているのだ。その事情が、本書にも映画にもある緊張した静けさを、与えている。

 映画の方も、観てみて下さい。白黒映像が美しいです。






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by ihatobo | 2017-06-24 09:01

『ヒロシマ 私の恋人』(マルグリット・デュラス・著 清岡卓行・訳 1970→90年 ちくま文庫)

 本書は映画「ヒロシマ 私の恋人」(1959年)の原作であるが、仏版には副題として「シナリオとダイアローグ」と記されていて(映画の)脚本と、デュラスの対話を内容としている。訳者・清岡も訳者あとがきで述べているが、このデュラスの(内的)対話の部分に私は興味をひかれる。

彼のいうように、そこに私は「小説性」を感じ、色々な意味で新鮮だった。たとえば、猫についてのエッセー風な断片があり、それは猫と女を愛する者にとっては、至極の文に思える。デュラスは女なのだが…

 あるいは「日本人の男性の肖像」では、

「彼は人生で、<ごまかし>をしなかった。」

「自分のうしろに、青春の悩みを、<ひきずる>ことなどなかった。」と書き、

彼らの恋についても

   「ひとつの行きずりの恋を、こうした真撃さ、こうした激しさを持って生きた」

と書く。

 つづいて、「フランス人の女性の肖像」では、

「美しいというよりは魅惑的」で「<いい眼つき>」をしていて「眼差しに従っている」と書く。そして、男とは逆に<魂の漠然とした悲しみ>を、自分の中にしまって自分と共に引きずっている。

 この件は、文の形式を問わず、大変に感動的である。

 是非、この文庫版を探してみてください。


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by ihatobo | 2017-06-22 09:19

『不隠の書、断章』(フェルナンド・ペソア)思潮社→平凡社 2013年

 もうすぐ夏至が、めぐってくる。あっという間に夏。

 今年は梅雨入りが宣言された翌日が晴れ、いまだに雨らしい雨は一回きり、しかも梅雨寒を越えた寒さに震えあがった。

さて、今回は、フェルナンド・ぺソアの『不隠の書、断章』。訳者によるあとがきには、「縁、旅、巡礼、自己の探求」こそが、ペソアの文学上のテーマである、と述べられている。実在する詩人、フェルナンド・ペソアは1888年のリスボン生まれ、双子座。

家族の都合で、南アフリカで幼少を過ごし、17歳でリスボンに戻る。その為に英・仏・ポルトガル語に堪能で、詩人として1935年に生涯を終えるまで様々な「異名」を使い各々の文体を確立して、多重人格な作品を制作した。

 その多重人格は、ペソアには込み入った意味を持っていて、ポルトガルという国の精神性を一言で表すならば、サウダーデで、彼はそれを生きた、といってもいい。

 前に、「縁、旅、巡礼、自己の探求」と訳者のコトバを引いたが、このサウダーデは、本書でも「郷愁」「宿命」「悔恨」と訳し分けられて、話は飛ぶがグルジェフ経由でキース・ジェレットが、国内でも新田次郎が、このサウダーデに魅せられて遠くポルトガルまで探求に赴むいたのは、以前このブログで紹介した。

 ポルトガルの民謡、ファドがこの事情を繰り返し唱っている。

 本書はその後、増補改正されて、平凡社ライブラリーに入った(2013年)が、この版の方がいい、絶対お得である。「構成要素の分らない調和」この調和は、ハーモニーである。「浅眠(パーリセ)」「自伝の断章」「無関心の創造者」「東洋(オリエント)」…

 これらのフルーズ、コトバが延々と続く…

 という訳で、今回も最後まで辿り付けなかった。それでも、あと4割は残っている。また、いつかの楽しみに取っておこう。


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by ihatobo | 2017-06-16 10:36

『写真の時代』(富岡多恵子 ちくま叢書 1979年)

 本書は、友人の写真家に教えてもらい、読んで放っておいたもので、比較的、読んでいた作家のエッセー集。
 もともとは「カメラ毎日」に連載されていた時評で、それを編んだものが79年に毎日新聞から刊行された(連載開始は70年)。「丘に向かって並ぶ人々」他、何冊かの小説を読んでいた私は、写真家が富岡の名を出した時に、反応したのだと思う。前後は、よく覚えていない。

 今回、再読して分かったのは、私はその写真家にインタビューを申込み、写真についての何か本を教えて欲しいと頼んだのだった。だが、今回読んで驚いたのは、時評をはるかに超えた、写真の定義とも呼べる文の群れであった事である。
 道具であるカメラの構造、その「キカイ」性、つまり「自立性」から始まって、「写される側の表現と論理」といったコトバで、近代芸術にまで及ぶ論考が綴られている。

 ダイジェストを読みたい、ということならば著者自身による、あとがきが本書の充分な解説となっている(叢書版)ので、そちらを読めばいいが、14章からなる各々は大変滋味深く、ぜひ本文を読んでほしいと思う。
 件の写真家は高橋恭司だが、収録済みのインタビューには、本書とも重なる彼の発言が随所に、ちりばめられている。本のカタチに、ならないものだろうか。
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by ihatobo | 2017-06-08 08:30

『人は どうして老いるのか』(日高 敏隆)その2

 前回の『カラス屋の双眼鏡』(松原始)の紹介文を書き始めた頃、ちょうど中国でシノサウロプテリクスという恐竜の化石が発見されたのを知ったのだが、この恐竜は羽毛に覆われているらしい。
 恐竜は、鳥とワニの中間のような動物で、2億130万年前から1億4500万年前のジュラ紀にペロキラトプスという肉食恐竜系から鳥類が進化したという。
 発見されたのは身長が約1mで、随分と小柄。イラストを見るとカタチは恐竜だが、なんとなく鳥を思わせる動物で、『カラス屋の~』でも触れられていた鳥の先祖説が、実証された衝撃的なニュースである。

 さて、人間の“老い”に戻ろう。
 ヒトは「どうして老いるのか」といえば、結論としては、ヒトという種の保存と発展に必然だから、ということになるのだが、ヒトには「ミーム」という「名を残したい」とか「名誉が欲しい」という欲動があり、利己をさらに現実的に考えると、そうした強欲によって生きている、とも解釈できるという。
 それはヒト自らが、自分を家畜化してきた故だ。つまり、本当は動物なのだが、自分に敵対する動物や飢えから、自分たちを守ろうとして家屋や社会を造ってきたからである。安全、安心であることは、人から野性を奪ってしまう。そういうわけで、ヒトは社会や、本当の自分を抑えてウソの自分を必死に造ってきた。

 その人生のなかで「嘘は、ときに人生に花を咲かせるが、その花は実を結ばない」(スペインのことわざ)。たとえ美しい時間が訪れたとしても、実を結ばなければ、子孫を残せないのである。意味が、なくなってしまう。
 その他、年齢による情動の活性/不活性の差が、不倫の背景にある、とかいうどうでもいい話も。あと、エティット・ピアフが捨てられていたパリのベルヴィル(貧民街)という街があるが、そこを舞台にした『ザ・トリプス・オブ・ベルヴィル』というアニメ映画がある。そのサントラ盤は、とても良い。
 私たちの店の小さなヒット・アルバムである。
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by ihatobo | 2017-06-05 09:09

『人はどうして老いるのか』(日高 敏隆 朝日文庫 1995→17年)

 近頃は、初夏らしく、だいぶ暖かくなってきたが、夕方になって陽が落ちると寒い。朝晩は涼しくなったという夏の終わり、秋口の挨拶ではなく、むしろ夏の夕方のようだ。ときおり夕立もあるし、陽の名残りが漂っていて湿っている。
 こうした天候不順に、年寄りは弱い。父もそうだったが、今度は私自身が調子を崩した。加齢に従って様々な支障が出るらしいが、これも“老い”のバリエーションだと思って静観している。そうした“老い”に関して、バリエーションがあり過ぎて、総合的なものがない、と探していたら、ちょうど本書が出た。
 エッセーとはいえ自然科学者の記述だから、先ず“老い”の定義から始めるのだが、いわば、それはそれで一冊が終わってしまう。そのためか、鶴見俊輔、大江健三郎を始め、上野千鶴子、松原寿輝と類書は多い。

 本書は冒頭の「人はどうして老いるのか」から始まり、“加齢”と“老い”の異いから説き始め、種族維持のため必然であること、そしてドーキンスの利己的遺伝子説を踏み台に、個体がやりたいようにやる、つまり総合判断が一番といって、先へ進む。
 私はその件を、自然のままに加齢に従い、やがて自然のままに死を迎えられるのが一番。という風に理解した。更に内容は、より豊かになってゆくので、また、その2で紹介します。

 さて、近所で巣造り、子育て中のツグミの両親が、その後どうなったかというと、気づいて観察し始めてから、ちょうど1ヶ月の先週末に、子たちは巣だったらしい。食事の際の騒ぎが、なくなった。
 巣立ち、旅たちは、やはり淋しいものであるが、それは人間のことだ、と本書は教えている。
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by ihatobo | 2017-06-02 08:13