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『昭和の店に惹かれる理由』(井川直子 ミシマ社 2017年)

 新譜と新刊を追ってきたつもりだが、この店の紹介に訪れた、井川さんから教えられて、本書を読んだ。著者は他ならぬ、取材に訪れた井川さんであった。
 とりあえず、日本の王様である関口一郎の店、「らんぶる」への取材記事のページを見た。前回のドナルド・キーンと同様、取材に先行する探訪、下調べが十分にされていて、井川さんならではの話が引き出されている。面白い。

 珈琲のことになると、関口さんも頭が回るらしい。というよりも、ドリップ方式を始めから採用していたことながら、そのドリップ器具も彼が開発したそうである。
 現在は紙のドリップだが、それは紙自体のクオリティーが上がったから、始めた。当初のネルドリップと同じ抽出になったという。しかも、そのネル布にも裏表があり・・・という具合。面白い。
 そして、彼が珈琲をドリップ(しずく)しているのを間近にしているように思えてくる。「本当のことは隠れやすい」(サンテ=グジュペリ)というが、良書も隠れやすい。大概、実用書はその類だが、本書のようにここまで珈琲を手に取るように伝える本も珍しい。
 他に、とんかつ屋、呑み屋、バー、鮨屋、割烹(かっぽう)、天ぷら、焼き物屋と味を尋ねての探訪は続く。いずれも、大変丁寧な取材である。
 当店でも、売ります。(1,990円 税は当店の負担)
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by ihatobo | 2017-02-23 05:26

『日本の作家』(ドナルド・キーン 中公文庫 1978年)

 本書は、90歳を超えてなおも文芸について、社会に対して発言を続ける著者の、戦後文学についてのエッセー集。
 安部公房、太宰治、三島由紀夫、川端康成に特にページが割れている。発表された年次は59年から71年までだが、新たに翌72年の『日本の作家』が加えられている。それぞれ私の学校時代に対応しているが、最初は小学校6年次だから、初出を読んだわけではない。

 しかし、高校の頃から著者の固有名は知っていた。親が、その名を口にしたのか、当時の新聞で目にしたのかだと思う。特に三島の自刃した時は、ラジオやTVでも報道されたから、あるいは著者へのインタビューを見聞したのかも知れない。
 当時は三島について私は二三作を読んだものの、印象が残っているわけではない。むしろ、本書を読み、それまでに出版された三島についての批評や評伝を思い出す、という順序である。それら三四冊は本ブログでも紹介したが、三島の存命中に本書のような、批評がなされていたのに驚かされた。

 三島は45歳で自ら命を絶ったが、生前、江戸時代に中国思想を学んだ大塩平八朗が窮民を救おうとして幕府の米蔵を打ち壊し、食料を分配してのち、自ら命を絶った事件を彼は詳しく研究したという。
 さて、『日本の作家』は今どこにいて、何をしているのだろう。
 池田満寿男、村上龍 以後、様々な才能が現れたが、その批評は目立った作品には、なっていない。地味な作業に徹しているのだろうか、批評すべき作品がないのだろうか?ともあれ『能動的ニヒリスト』の三島が向かう破局への軌跡が美しい。
 自らの「血肉」を作品としたのだ。ページをめくる手が、そこで止まった。その彼は日本国籍を得て、北区に住んでいる。
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by ihatobo | 2017-02-16 22:17

『漱石文学における「甘え」の研究』その3

 前回、ちゃんと読んでみたい、と書いた二作のうち『夢十夜』を読んだ。短いし。普通は中・高校で、ハマる人はハマるのだろうが、私が本書を知ったのは20年程以前である。
 雑誌のインタビューで、早山進というボクサーに会って話を聞いたところ、マイルスのジャック・ジョンソンをリングに上る際のテーマソングにしている、とのことで、そのあと私は村上秀一(ポンタ)を紹介し、この店での会話となった。

 その際の会話は、ジャズ雑誌に載せたのだったが、話の要点は身体運動のことに尽きた。互いに自然に、関節が動いてパンチが入って、相手が倒れている状態になるそうである。ポンタにしても同じことで、曲の長さを把握して、スナップが、その時々に打ち下されている、と言う。
 “プロフェッショナルの技とは、そんなモンかいな”と、その時、感服した。自分の作業が自然に流されていなければ、プロとは言えないだろう。たとえ、途中のハプニングで流れが途絶えたとしても、それを乗り切るのもプロだからこそである。

 さて、前回の土居建郎もプロの医者であり、プロの学者であるが今回読んだ『夢十夜』の解説・注解者である三好行雄も漱石読みのプロらしく、文章は大変説得力があり、資料も充実していた。
 前回も書いたが、こういう解説者に自分の学生時代に出会っていれば、漱石も好きになっていただろうに、と思った。
 『文鳥・夢十夜』新潮文庫版 1976年
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by ihatobo | 2017-02-10 10:48

『みんなの酒場で大きくなった』(太田和彦 河出文庫 2017)

 秋の陽は“つるべ落とし”と言われるほど陽の落ちるのが早いが、節分、立春を過ぎるこの頃は、一日ごとに長くなる。春近し、である。
 ともあれ、月が変わった。気分を改めて、新刊紹介をしよう。
 先頃、文庫化された本書は、13年刊行で、俳優、作家、切り絵作家などの酒吞みを集めて、それぞれに話を伺うインタビュー/対談集である。私は酒吞みではないが、著者が逆にインタビューを受ける最終章を熱心に読んだ。
 著者は職人の家系に生まれ、祖父が「これからは学問の時代だ」と言ったために、息子である父は教師になり、その血を引いて本業はデザイナーであるにも関わらず、小学校の時分から学級新聞を発行し、配っていたという。

 さて、彼の店選びの基準は「店の空気がキレイ」を挙げるところが昔気質を思わせる。更に、取材するに当たっては重なる下調べをしたうえで、与えられたテーマと枚数で、締め切りを守って一定の水準を保つことを信条にしている。どことなく気質が伺えるのだ。

 そのなかでも特に共感したのが、その下調べのノートで、このブログ用のメモを書きつけるキャンパスのA6判と同じものを使っている、ということだ。
 理由は、ボールペンを挟んでおけるということだが、私は更に書かれる内容が幅広く、ほぼ日記、日誌、覚え書き、住所録と切抜きスケッチなど、他人はサッパリ分らない。判読すら困難なページもある。しかし、何かの時にサイフとメモ帳と眼鏡だけは忘れないようにしている、というのは同じ。つまり、自分の記憶や感性を、全てメモ帳(ここでいうA6判ノート)と取り換えているので、自分が無くなってしまうのだ。
 いや、大変参考になりました。
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by ihatobo | 2017-02-03 09:36