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『漱石文学における「甘え」の研究』その2

 著者の土居は、学校を終えてアメリカに渡る。英語に囲まれた環境の中で、日本では普通に流通している、「甘え」という言葉に相当する英語がないことに気付き、自らの研究の体系を組み替えることを思い付く。
 その時のエッセー集が、『甘えの構造』(弘文堂 1972年)である。この本は、以後再版、改訂を経て、今日まで広く読まれている。英語翻訳があるはずだと思うが、私は調べていない。この「甘え」という心理状況は複雑で、私たちでさえ説明は窮する。

 普段は語尾を補って動詞として使われるこのコトバ、「そういう態度が甘いんだよ」とか、食品の味に関する感覚であるのに「キミは甘い」とかいうように使われる。よく考えてみると、英語には、ならないだろうな、と想像できる。

 精神分析学は、もともと医者であったフロイトが、“身体的な不自由を、ある種の病態だ”と認めることから始まった。内科医でもある彼は、通常の薬の処方に効果のズレがあることに気付いたのだろう。彼は問診による患者の過去の情報と共に、それでは解けない何かがある、との仮説を立てて無意識を、そうやって発見する。1910~20年のことである。
 その時期に漱石は、ロンドンに給費留学生として滞在していた。漱石自身が分析理論を学んだ、とはいえないものの、作家である彼は(近代)社会に生きる人々の内奥に分け入って、人間理解を深めていた、とは言えるであろう。

 その彼が、全ての人間の研究というものは、自分自身が自己の研究をするものである、として分析学の概念である“自己分析”を行為していたとも言えるはずである。
 彼の作品構築の作業自体が、それに当たる訳だ。そうやって彼は、(近代)国民作家に成り得たのだろう。
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by ihatobo | 2017-01-30 10:03

『漱石文学における“甘え”の研究』(土居建郎 角川文庫 1972年)その1

 近代小説の文豪と言えば、我が国では夏目漱石と森鴎外だが、漱石が“国民作家”であるのに対して、鴎外は前近代の支配階級であった武士が持っていた論理に注目して作品を書いた。
 つまり、国民が競って読むような作品は少なかった。私は鴎外作品を愛する者だが、かといって漱石を馬鹿にしているのでもない。

 本書で述べられる精神分析の手法を、早く知り得ていれば、漱石の著作も愛したに違いない。しかし、著者が結論づけるように、漱石は作品を制作する際に、その作品世界の内容に自己を反映させ、何らかの困難や障がいを登場人物たちに解決させることをもって、自信の救済したと考えられる。
 その地点までは、私は踏み込めていない。それでも、本書を読んで漱石の著作をひとつでも精読してみたい、と思ったのは確かである。

 手元にある『道草』からやってみようかと思う。『夢十夜』とか。
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by ihatobo | 2017-01-25 09:42

『行動学入門』(三島由紀夫 文春文庫 2016)

 三島由紀夫の文庫本『行動学入門』が去年出たが、今年になって井上隆史他編の『混純と抗戦』(水声社)が出た。

 本書は、一昨年11月のシンポジウム(国際 三島由紀夫 シンポジウム 2015)を本にしたもので、総勢30人余りの講演、研究発表だったそうで、相当なページとなっている。
 私は、研究者でも公演するほどの読者でもないから、書店にも行ってないが、三島がそれほどの「豊穣」を持っているのは知っている。つまり、現段階での全データ集なのだ。
 一昨年の生誕90年、没後45年の時、仏ジャーナリストによる評伝本が出て、このブログでも紹介したが、他にも評伝の類は、たくさんある。ここへ来て、それらの努力を一辺ご破算にして、データだけを記録をしよう、という試みが出て来るのも私には分かる。

 まずデータを集めて、ある段階でボーっと眺める。その時は、実際の紙、資料である。そして、データに打ち込む。その間は、頭を働かせない。ただ、ひたすら事実を集める。
 遺跡を発掘するように、どんなカタチをしていても、ただ集める。どんなに小さいものでも。意味がない、と思われるものでも集める。その作業が、ある域値に達すると自然と秩序が生まれてくる。
 それはデータ化が終って、二度目にボーっと眺めた時に見える秩序である。つまり集めた対象の持っている意味なのだ。その意味に見合ったコトバを見つけて、タイトルを付け整理してゆく。

 本を造る場合は、それがページ割り、章立てと呼ばれる。今回記しておきたいのは、データの内容が意味を持っているのではなく、事実を集めたあとに、意味がその収集車にやってくるということだ。
 そうしておかないと、本は無秩序な断片の集積であって、読者は読むのに苦労するからだ。小説家の場合は、ほぼ同様の作業の果てに、物語(秩序)を紡ぎ出すのだろう、と私は想像する。

 さて、今回タイトルはあるが、読んでいないから手に取るかどうかは、読者次第である。すみません。
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by ihatobo | 2017-01-20 10:31

『百日紅』(杉浦日向子)その3

 新聞に、小川洋子のエッセーが載っていた。私的な事柄や、興味をひいた記事の切り抜きや、本からの引用などが綴られているらしい。
 それらがゴチャ混ぜになって、ひとつの物語へと結実するのだろう、と思った。「ややションボリした気分の時に、このノートを開く」らしい。
 エリック・サティからの書き写しは

――公立青少年クラブでの熱心なボランティア活動により、市から勲章をもらう。
   それが人生でたった一度の、音楽では決してもらえなかった勲章となる。――

 サティの本は『エリック・サティ詩集』だと思う。
 小川のノートと同様の私的な事柄を書き綴ったもので、自らの作品(楽譜)の余白に書き付けたフレーズやメモなどを、集めたものである。
 私は作家でも音楽家でもないが、このブログのために、同様のノートをつくっている。誰も読まないが、私には大切なノートである。
 「そこは私だけの王国だ。」(小川)

 さて、今回の『百日紅』の締めくくりは、杉浦さんも同様のノートを持っていたに違いない、考えたこと。もしあれば、是非見てみたいものである。
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by ihatobo | 2017-01-14 20:06

『百日紅』(杉浦日向子 上下巻 ちくま文庫)その2

 そういえば、実家の庭に、さるすべりの木が植わっており、夏の休みに帰ると、うす紅色の花が散っていたのを想い出す。

 本書は、そのさるすべりがタイトルとなっているが、物語の全体を過不足なく、言い当てていて良いタイトルだと思う。
 夏の暑さと、ポトリと落ちる描写、何故か凛風が吹いているようだ。この木は芝をポカリとくり抜いて立っていたのだが、その色合のコントラストも美しい。だが、実際に散ってみると芝の中に隠れてしまう。なんと健気な花か。
 その木にも、主を喪なくして今は、もうない。寒風に晒された更地である。年明けに、そこに暮らした両親を想う。淋しい。
 確か縁側に腰掛けて、陽に当たっている写真が残っているはずだ。落ち着いたら探してみよう。

 本書は激しさと共に、しっかりとした人々の心情をうたい上げた名作である。
 アニメーションによる映画も観てみたい。
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by ihatobo | 2017-01-08 22:54

『百日紅』(杉浦日向子 ちくま文庫)

 この年末年始は、さっと来て、さっと始まる という急ぎ足であった。
 クリスマスも、何だか実感の湧かないうちに過ぎ去り、どうも気忙しい毎日である。除夜の鐘は遠くに聞いたものの、初詣もせずに済んでしまった。皆様は、いかがお過ごしでしょうか?
 さて、年末に販売された『すばる』の短編特集号を買おうとしていたら、沿線の書店はどこも売り切れで、新宿まで出掛けたものの、目当ての喫茶店が休んでいたショックで、忘れてしまい戻ってきてしまった。どうも速すぎる。

 本書は1983年初出の彼女の短編集。1年に2~7作の腰が坐った全16作(上下巻で全30作)。漫画なので350ページ前後で束はあるものの、価格は同等の文庫本より安く、しかも読み応えは同等。ずしりと残る。
 内容は、浮世絵師・葛飾北斎の娘、あ栄を主人公に可愛らしくも怖い女の仕事への情熱と、男への無垢が見事描かれている。
 書店で是非、手に取って2~3ページをめくって見れば、即レジへ直行するのは間違いなしの傑作である。
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by ihatobo | 2017-01-04 19:56