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『音を視る、時を聴く』(大森荘蔵/坂本龍一 朝日出版社 1982年)

 哲学者と音楽家の対論ということで、幾分ビビるが、要は両者とも技術者なわけだから、両者の技術をもって互いに通ずるところを探る、というのが本書の基本的な性格である。哲学は数々の術語を組み合わせ、学者なりの体系を造るのだし、音楽家は無限にある音を楽器や声によって組み合わせ、ある楽曲を造る。
 ただ異なるのは、私たちが接するときに、哲学に対しては、ある程度の知識は必要だし、音楽は耳の記憶を呼び戻して聴く、というところだが、両者ともに第一線の専門家なので、しっかり自分の能力を全開にしないと、対論に入り込めない。

 読んでみると分かるが、能力を全開にしても及ばない。入り込むどころではない。しかし、私にはあった方が良い本と感じられた。それでも、どこかで音楽家は、あれ(対論)は失敗だった、といっていたが意味のある本であることは間違いない。
 いずれにしても、挑戦してみる価値のある本である。どこかで是非。
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by ihatobo | 2016-11-25 11:53

『逢沢りく』(ほしよりこ 上・下 文芸春秋 2014年)

 主人公は、母親に理解されない。のだが、彼女の方は母親を人一倍大切にしている。そのアンビバレンツな心情は、屈折するばかり。母親に理解されないくらいだから、クラスの担任やクラスメイトにも敬遠されて、増々、彼女は孤立する。

 彼女は、その環境から抜け出ようと、地方(大阪)の親族のもとへ預けられる。その経緯にも、母親の都合が絡んでいる。夫婦が彼女を疎んじているのだ。共に自分たちの価値観を優先させているのだ。主人公は、そうした思惑を知りながら、冷静に大坂行きを貫行する。
 ちょっと彼女の健気に打たれるが、彼女は読者の私のカンドーは目に入らない。知らんフリである。

 彼女の関心は、その親類の家族の中で同様に孤立している、鳥や病身の子どもに集中する。最終ページでは、何と11ページに渡って彼女は泣く。彼女は蛇口をひねるように、自分の涙をコントロールできたのだが、ここへ来て、それが出来なくなる。
 この11ページの涙は、自然に出た涙にカンドーしている、とも取れる涙である。
 実に爽やかな、ラストであった。

娘を心配するが故に、神経質になる母と、それに応えようとして、生真面目になる娘の物語だと思った。
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by ihatobo | 2016-11-18 09:32

「秘密結社の手帖」(澁澤龍彦 河出文庫 1965→84年)

 本書は私が高校生の頃に、早川書房の推理小説雑誌“E・Q・M・M ”初出で、翌年、単刊本となった「100枚ほど」の増補版である。澁澤自身のオリジナルとしては、先に紹介した「高円親王航海記」があるが、本書は純然たる紹介本である。
 20世紀になると、世界各地に秘密結社が結成されるが、端的にいえば、「秘密」を共有して固い団体を作るということだから、何か疾しい集団であることは間違いない。殺人、呪い、秘儀、SEXなどを共通の秘密にしているのだろう。

 しかし、現代の差別やテロリズムと違っているのは、あくまでも その集団内部の価値だから、一応合法である。関心のないものを拉致したりしない。それら各地の特徴、規模、教義などを知られている限りに列挙している。
 前回、魅惑される本を紹介したが、本書は著者が魅惑されたものを並べたのであろう。澁澤さんという人は、変な才能である。しかも、題材が題材なだけに、妙に色っぽい、エッチな本である。
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by ihatobo | 2016-11-12 06:50

『猫語の教科書』と『漢字百話』

 今回、妙な取り合わせだが、両書とも魅惑的な本である。白川先生の方は、やはり、読んではいたものの本の意義にまでは入り込めずにいた。改めて読んでみると、冒頭の3ページで唸ることとなった。タイトルは「漢字と映像」である。
 たった3ページのなかに、ソシュール(言語学)からJ・L・ゴダール(映画)までが概観されている!そして必然の流れとして、もうひとりの巨人、ロラン・バルト(記号学)まで登場するのだ。いわゆるシュルリアリスム宣言と肩を並べる、飛躍、省略の穴だらけの文である。

 さて、毎度お馴染み“猫本”はアメリカの本。噂は聞いていたが、初めて読んだ。猫をよく知っている本だが、私たちにうまく伝わってくるお話になっている。猫好きには、大変ほほえましい。が、アメリカの猫はデカいらしい。個人的には、アメリカン・ショートヘアが、いいのだけれど…

 我が家のサバ猫は家出中。一回、帰って来たのだけれど…。心配である。
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by ihatobo | 2016-11-10 09:36

『職業としての小説家』(村上春樹 新潮文庫 2016年)

 天候不順の最近ではあるが、さすがに11月ともなると秋も深まり、めっきり寒くなった。この季節毎年騒ぎになるのが、ノーベル賞の受賞に纏わるマスコミの対応だが、今年それを制したのはボブ・ディランであった。
 それは前回までに紹介したので、受賞にニアミスを繰り返している本邦のポープ、村上春樹の長編エッセーを読んだ。小説家とは、どういう職業なのかを講演する、というカタチで述べたものが本文の大半を占めている。それが、自己の作品についての村上自身の解説にもなっていて、彼の読者には興味深い内容になっている。

 しかし、私は本書を通読してみて、「村上さんは、もういいや」と思った。私たちの店と同じぐらいの間、次々と作品を産み続けていたから、いつも気になってはいたけれど、本書で“種明かし”をされてみると、“もー、いいや”という気持ちになった。
 色々な理由が本書で明かされているが、その全部がある体系を造っていて、当然だが入り込めない。結局、読後感としては、かわいそうな人だなァということだった。

 今年は曼珠沙華(まんじゅうしゃげ)から金木犀が、いつの間にか終わり、もうしばらくすれば冬至。来月は年末である。寒さに負けず、頑張って過ごしましょう。
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by ihatobo | 2016-11-04 09:40