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『漱石の想い出』その2

 本書の内容は、前回の通りだが、読み終わると、この漱石夫人は、世に言う「ソクテラスの妻」であることが分かる。つまり、悪妻である。この妻にして、あの夫ということだが、男性なら誰しもこの妻を良く言う訳がない。
 後半は夏目の看病が主な記述で、良くいえば冷静、読む人によれば非人情という人もいるであろう。事実の数々が述べられている。「情に棹させば流される。とかく、この世は住みにくい」は夏目のフレーズだったと記憶しているが、病床の夏目に対する態度を見てみると、彼が「人の情」を言うのが良く分る。

 公費留学でロンドンに滞在した夏目は、その期間に病を得た、とも言えるが、同時にこのような「人の情」の人、つまり日本人であったために、西欧の個人と日本人の私人が入り乱れ、その後の日本に個人の考え方を紹介した、ともいえる。
 実際に我が身に引き受けて考えれば、店のお客様全員がコトバの通じない個人であってみれば、二年も滞在してみれば、胃潰瘍になろうというものである。「個人」に基づく近代を受け容れるに当って、夏目は偉大であったと言えるのであろう。

 もうひとりの文豪、森鴎外はドイツに留学したが当時のドイツは医療の先進国ではあったが、社会の近代化は未発達であったために、鴎外の「私人」は尊重されたのであろう。病には、ならなかった。彼は、もともと医者でもあるし。
 本書には、その他にも紹介したい夏目漱石がいる。
 また次回に触れたい。
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by ihatobo | 2016-09-30 22:52

『漱石の思い出』(夏目鏡子・述 松岡譲・筆談1994年 文春文庫その1)

 夏目漱石といえば聳え立つ文豪だが、来年は生誕150年、没後100年の節目の年である。今から20年ほど前に、没後80年ということで、様々な催しがあったが来年は、それ以上に盛り上がるのだろう。本書は漱石の妻、鏡子に対する親族でもある松岡譲の筆録である。

 没後13年の後、このセッションは行われた。仏教でいう13回忌である。鏡子夫人は必ずしも仏教徒ではないようだが、亡き夫を語れるまでには、その時間が必要だったのだろう。現在でも、そのような大事に関して人は、その時間を必要とするのだろうと、私も思う。

 内容は、夫人の語る夫婦の生活の記録だが、夫の書くものの契機となったイベントや「思い出」を、当然、鏡子さんは共有しているし、そうした中から小説は書かれるものだから、漱石の作品のいちいちのモチーフが語られていて大変興味深い。たくさんある作品の中から『行人』を読んでみようと考えた。
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by ihatobo | 2016-09-29 11:28

With the Beatles (EMIレコード 1963)

 母と娘の相克を描いた小説を読んだのだが、予想通り、誰にでも備わっている母性の発露が絡み合っていて、気持ちが沈んだ。登場人物としてさえ父(性)が出てこない。主人公の夫を父性として、見ることもできるのだが…

 さて、それにしても今年の台風の進路は異常である。何をもって異常なのかは、様々な見解があるだろうが、私が知っている進路はフィリピン、台湾あたりから北上して、琉球列島をなめながら北東へ向うものだった。
 しかし、今年は太平洋の高気圧が未成熟で弱く、台風は西へ向かう時さえあった。異常である。南海上を、このように右住左住する台風を私は知らない。上記の母娘の交流は、その右住左住どころか上下左右、斜めと混乱、泥沼化する。
 天候不順もそうだが、このカオスから母娘を救い出せるのは、カミしかいない。途中、そのくだりもあるのだが、カオスに隠れた秩序とはいい難い。私には感動がやって来なかった。

 というわけで、今回は「ホールド・ミー・タイト」(ビートルズ 1963年EMI)を聞いて、お茶を濁した。作者はビートルズに、きつく抱きしめてもらった方が良いと思う。私の手には、負えない。
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by ihatobo | 2016-09-23 22:09

『文学逍遥』]白川静(平凡社ライブラリー46 1994年)

 私たちは普段の生活でコトバを使っているが、それを研究する学問がある。同じようなものに西欧の言語学があるが、漢字圏では文字学である。
 西欧の表音文字とは違い、漢字では線の組み合わせが意味を持っている。一、十や、水平と垂直、斜めの線が意味を作る。その文字を、一字一字丹念にその謂を含め解説したのが、本書著者の白川静である。

 たとえば十を傾けた×は呪力を意味し、凶や胸などの他、V、Λなどが、よく見てみると漢字のあちこちに発見できる。これらの記号のような線も、各々に謂や意味があるそうである。彼は他に字の謂、意味を解した『字統』、全ての漢字を扱った『字流』、そして一般の国語辞典に拡大版?といえる『字通』を持っている。

 彼らは、それら漢字を、ラカンの鏡像理論の如き、人の成長段階に平行して解き明かした。といっても構造的には誤りではない。
 とりあえず、中国文化圏で、一番漢字をよく知る学者である。亡くなってしまったのだが、脈々と彼の業績は受け継がれ、発展・深化している。
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by ihatobo | 2016-09-16 13:57

『ひきしお』(エンニオ・フライアーノ 大久保昭夫・訳 角川文庫 1970→72年)

 第二次大戦後の文学を「戦後文学」と一括するが、先回の『気ちがいピエロ』同様、本書は大戦後15年を経た60年代に書かれた一冊。
 日本と同様に敗戦国であったイタリアの、明るさへ向かう物語だ。しかし、その内容は不安と混乱を極めており、この時代らしく、フロイトを祖とする精神分析の所見、レヴィ・ストロースや当時もてはやらせた学者たちの所見を下敷きにしつつ、ヒッピー文化へ向かう世相を反映して、物語は進む。

 舞台はニューヨークだが、この作家の出身であるイタリアから、次々に人々がやって来て物語に登場する。それらの目に映ったアメリカを対象化してみせ、いわばアメリカ論としても読むことが出来る。
 構成も、作家志望の中年男(48歳)と21歳の女(人妻)とのアバンチュールを日記風に記述しており、ヨーロッパの文芸/文化が相対化されており、アメリカ論を近代の実験として、著者が促えている事もうかがえる。
 主人公はニューヨークに取材の心積りで到着する。その積りでブロードウエーのある劇場に入る。そこで奇妙な女優に合う。

 さて、本格的に作品造りに取り掛かるが、雇った有閑マダムの秘書の気まぐれに付き合わされ、アメリカ人のイタリア男についての偏見からプライベートにまで巻き込まれる。その生活から逃げ出そうと、その秘書の連れ込んだ犬と公園に散歩に出掛ける。そこで、犬を連れた女優と再会するのだ。
 女は良家の御夫人だが交際が始まる。やっと普通の恋愛小説になるのかと思いきや、リーザは「ほんとうの犬なのだ」という。単なるアナロジィではなく、女優リーザ夫人は犬のように嗅ぎ回り、中年男に迫る。
 作者は、フェデリコ・フェリーニの『甘い生活』『8と2分の1』にシナリオ作家として参加している。本作は、そうした著者自身の人生を色濃く反映させているらしい。(あとがきより)
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by ihatobo | 2016-09-09 10:03

『フランス文学と愛』2 (野崎 歓 講談社現代新書 2013年)

 前回は、数学者ルイス・キャロルが書いた『鏡の国のアリス』のなかのある場面をひいて、論理は強い、ということを私が書いたが。要は物事の順序を守れば、論理は崩れない、のである。それは強いのではなく、むしろ簡単すぎて消えやすいのだ。

 さて、その簡単すぎて壊れやすく消え去るもの、といえば、それは「恋」である。理由もなく、ある日突然、それは私たちに訪れる。そして、その「恋」が何か障害に当たって消え去ろうとする時に、何とか再び「恋」を造ろうとしても、上手くいかない、のは承知+通りである。
 その当事者に「論理」が持ち込まれても、消えたものは元に戻らない。そこで「恋」と少し似ている「愛」を持ち込んではどうか、ということで本書を引き出してみた。三年以前に本ブログで紹介したのだが、ここで角度を変えて読んでみると、熱くなった心もいくらか冷静に見詰めることが出来る。
 何しろ仏文学は「愛」の物語が大半だからだ。

 しかし、ヒトの心は分らないものである。
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by ihatobo | 2016-09-03 08:51