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『ナジャ』(アンドレ・ブルトン 稲田三吉 解説・訳 現代思潮社1926→60年)

 本書は、例えば前回のアルフレッド・ジャリとその本、芝居に関するブルトンの覚え書きなのだが、それを主人公ナジャに語ってゆくことで物語は進行する。それに対してナジャは反論や沈黙をもって応え、時に同意し互いに喋り会話が進んでゆく。
 他の作家や各々が、体験した事柄を語り合ってゆくのだが、ナジャの幻視や夢や忘れ去られた記憶が語られ、訳者の解説によると、そうした意識下の不分明なイメージが、アンドレによった表現になっている、という。確かに奇異な女であるナジャだが、女性一般にこうした事柄は、現れるように私には思われる。

 ディテールにこだわるあまり、古代の生命までもが呼び出される。そして、本書でもやはりフロイトの考え方を下敷きにして「無意識的自我」(エスとエゴ)+「観客的偶然」といった用語を使って、それらを説明している。そして、それらはヘーゲルの援用のようである。
 混乱はするが、魅惑的なこの小説ではある。
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by ihatobo | 2016-06-28 10:55

『超男性』(アルフレッド・ジャリ 渋沢龍彦・訳 白水uブックス 1902→1989年)

 男性を超えた男性、男の中の男、というほどの意味のこのタイトルは、フロイト理論を下敷きにしたある男の物語である。
 主人公のアルクイユは愛を超克すべく、愛の昂揚をテコに自転車を走らせる。女主人公エレイン・エルソンは列車(蒸気機関車)に乗って彼方へ走り去ろうとしている。男性たる者は、何故かそれを追い、抜き去りたい、と願うものなのだ。
 しかし、こちらは自転車、勝ち目はない。そこで彼は7人連結・自転車に乗り力を合わせて列車を追う。最後、列車に追いつき、抜き去ろうとする瞬間に物語は終わる。

 果たしてエレンは、アルクイユは?という所でフェイドアウトする。しかし、こうしたフィジカルな葛藤の中に、ある種の抒情が生まれるのだ。観る者をサディスティックにさせる陸上競技のように。主人公が苦しむ程、私たちは滑稽さに笑い、そこから解放された主人公を賞賛するのだ。
 列車と同様、とても速い小説である。ムシ暑い午前中にどうぞ。梅雨だもんね。
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by ihatobo | 2016-06-22 22:04

お知らせ

 今回のブログお休み。
 店主がドックに入ってますので少しお待ちください。
 
 店主がいーはとーぼを始める前に働いていたレコード店『パイドパイパーハウス』
が7月15日より半年間、渋谷タワーレコード5階の特設会場にて再現されるそうです。
興味のある方は是非足を運んでみて下さい。
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by ihatobo | 2016-06-17 21:37

『バイエルの謎』(安田寛 新潮文庫 2012年)

 ピアノを習う、といえば、誰もがお世話になる教則本、バイエルの本書はナゾ解き仕立ての物語である。バイエル?ナゾ解き?と思われるだろうが、読んでゆくと、ナルホド、ナゾ解きミステリーを読んでいるのと同じ気分になる。ぐんぐん先が知りたくなるのだ。

 そのバイエルの何がナゾなのかといえば、まず最初に、彼がフェルディナンドというギブン・ネームの作曲家であることに、気づかない人も多いのではないだろうか?
 そもそも、その原因が彼の生年月日、没年などの生涯項目が確定していなかったこと。さらに出生地、没後の墓の有無すら分らなかったことによる。つまり、匿名で音楽活動していたナゾの音楽家、という説まであったそうである。

 本書は、それらのナゾをひとつひとつ辿り、役所へおもむき、教会の書庫を探り、丹念に調べる。何年にも渡り、ドイツを中心にポイントとなる都市をめぐり、この本に結実するまでに20数年を費やした、というから驚く。
 その分、本書は説得的で、読後、さわやかな充実に充たされる。
 ミステリー好きの方にも楽しめる、オススメの本である。
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by ihatobo | 2016-06-15 09:24

川端康成 その3

 時折しも川端の初恋を追った紀行エッセー『川端康成と伊藤初代』(水原園博、求龍堂)が刊行され、代表作『伊豆の踊子』に至る川端文学の「母体になった」伊藤との恋愛体験を、消息文、証言で裏付けたものとして、受け取られているらしい。
 水原は川端記念会の理事で、こと細かく、このふたりの足跡を巡ったらしい。ふたりの恋愛は川端22歳、初代15歳の秋だが、ふたりは初代の婚約破棄によって終わりを遂げる。その詳細を知るべく、水原は初代の子息に逢う。
 この事件は、『非常』『篝火』『南方の火』に結実するが、私は未読。これを機に、『伊豆の踊子』を再読しようと考えている。

 初恋は?日本古来の悲しみとは?山の音とは?
 この6月19日まで、川端に宛てた初代の手紙が「川端康成コレクション」として、東京ステーション・ギャラリーで展示されている。
 興味のある方は、出掛けてみるのはどうだろう。
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by ihatobo | 2016-06-10 10:18

『川端康成 三島由紀夫 往復書簡』(新潮社 1997年)

 三島は在学中に、川端に私淑していたらしく、自分の書いた物を送って批評を求めたり、川端の書いたものを読んだ感想文を送っていたらしい。それが、ここに収められている。一番早い日付が1945年3月、敗戦の年、三島在学中の20歳の時のことである。
 彼らは、ほぼ生涯にわたる盟友関係を作り出した、その時々の内情が、ここに叶露されている。それは、そのはずで、両者共に作家の(孤立)に耐えて仕事をしていたわけだから、文の不備、不満から始まり、自己の才能の確信を得たいがために、熱く語り合ったのだ。

 現在のような文の伝達ではなく手段は郵送か持参しかないから、時間も掛かり文にするには言い難いことあり、その制約が余計この書簡集に熱を与えている。
 本書の扉に、川端が賞を受けた翌日に、三島が川端を訪ねた際の写真があるが、仲の良い親子のような師弟関係が、よく分かるショットである。

 「恐るべき計画家・三島由紀夫」も(本書のはじめにを書いた佐伯と、川端香男里の対談)収録。他にノーベル文学賞への推薦文(三島由紀夫)、略年譜も併録されている。
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by ihatobo | 2016-06-07 10:23

『山の音』(川端康成 1954→57年 新潮文庫)

 近頃は、昼の陽が照り、夕方になると急に涼しく、寒くさえある日々が続いているが、空気は乾いているので、とても清々しい。生活の場が、どこか他の地域か山の上に引っ越したかのようである。前回の事件性のある作品といえば、多数の名があるが、三島を探るために、先達である川端康成に焦点を当てるべく本書を選んだ。
 本作は、前回の『お嬢さん』(三島)と、文の構成、登場人物の設定、アメリカ土産を家族にふるまう、といったエピソードまでがよく似ており、一般には剽窃といわれても不思議ではないほどだが、解説の山本健吉が指摘するように日本古来の悲しみを軸に立てれば、他の作品と三島が紡ぎ出した作品が混然一体となっても当然だ、という納得ができる。
 発表の形態も、雑誌システムを考慮に入れれば似ているのも、うなづくことが出来る。その結果、細部の緻密さを伴いながら、全体の構成もしっかりする、という短篇連作による長編小説が可能となる訳である。

 本作の内容に関しては、すぐには詳しく紹介できないのが歯がゆいが、日本古来の悲しみに回帰してゆこうとする夢を語っているとすれば、川端と三島は、そこで連なっている。このふたりの類稀な才能は、共に自死を選んだことで、その才能を閉じ込めたことになる。
 互いの作品から、離れた人格としてみれば、残念である。という一言に尽きる。夢見がちな二人、ということであったのだろう。彼ら二人の往復書簡も出版されているので、そのことを次回は紹介しようと思う。
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by ihatobo | 2016-06-03 10:00