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『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー 著 橋本福夫 訳 1961)

 「映画110年」は、ハッキリと読む価値アリ。と、私は、思った。

 ここで、しばらく休憩。という事で、アガサ・クリスティーの『蒼ざめた馬』を読んでいる。本作は1961年の発表で、彼女は1870年時点までに5~60作を書いている。
 本書の原題はThe pale horse でプーシキンだが、ローシキンだったかのロシア作家が、似たようなタイトルの作品を書き、その彼の作品が邦訳された時は、青ざめた馬を見よ、だった覚えがあるが、今のところ別の作品のようだ。
 この71年に五木寛之が同名タイトルで世を賑わしていたので、出版社が肖ったものかも知れない。冒頭の数ページで魅き込まれる。ミステリーは、SFと違って論理的に物語が進む。
 これが私自身をひとり時間へと導いてくれる。安心。
 筋を追わなくてもいい。いくつかの個有名を覚えておけば、そのうち死体が、その個有名の眼前に横たわっている。さて、犯人は?となる。
 そうなれば、自分が犯人探しに参加できる。ある時点での、その個有名のいた場所と時間が課題であるだけだ。今のところ、個有名はイースター・ブルックという学者と知り合い(向と14人が登場する)蒼ざめた馬というレストランのオーナー夫妻と殺されたらしい神父と警部である。さて、だまされないように読もう。
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by ihatobo | 2015-06-26 10:11

『日本映画 110年』(異邦人 その6)

 「恋しい」はノスタルジィの心情でもあり、恋戀う(こいしたう)は、その運動形のフレーズになるから、B・B・キングよりもオーネットがいい、というのは、私がオーネットにより多くの心情を抱く時刻を持っていた、ということだ。
 亡くなった人を想うのは当然過ぎ去った二人の日々を想い出すということだから、ノスタルジィでもあり「恋しく」もある。
 しかし、ある時期が到来すると、そうした記憶の全体を振り切って前回のいう「革命」をしたくなる。
 全体を振り切るということは、自分以外の今度は全部を捨てて命を革める。
 そうやって革命してしまったヒトは単なる人となる。二足歩行、言語使用はするものの、イツナンドキでも自ら成したことなのに忘れ去られてしまう。不思議な生命体になってしまう。ある個体はケンタウロスに、別の個体はビーナスに、あるいは香具夜になってしまう。

 もう少しで『異邦人』まで来た。何しろ主人公を産んだ母を、ムルソーはピストルで撃つのだから。…革命でなくて何であろー。

 本書ではドキュメンタリー映画と、アニメーションに、私の知る固有名がなかったから、そーゆうモンだろーと思いつつ、未見の映画がこれ程の本数あり、その大部分を筆者は観ているのには感服した。余生を過ごす楽しみが、また増えたようで嬉しかった。

 しかし、「分かり易さ」ということでいえば、マンガのジャンルをおいて他にないであろー。
流通している部数の量が端的にそれを証明している。
 ただマンガを読むのに時間がかからない。だから「読書人は」次々と他の作家の作品を漁ることになる。
次回はその『マンガの論点』(中条省平)を読んでみよー。

 さて、本書を読む価値がありやなしやを問われれば、やはり手許に置いて気の向いた時にページを繰る、というのがオトナの紹介の仕方であろう。

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by ihatobo | 2015-06-19 00:53

『日本映画史 110年』(四方田 犬彦 集英社 新書2014年)

 「スリル・イズ・ゴーン」のB・B・キングも「ジャズ/来るべき姿」のオーネットも、同じ時期に亡くなったにしても、「恋しい」の対象が異なる。
 しかし、どちらも音楽の神ミューズにしてみれば同じで、ブルースという形態を維持することも、音の響きに導かれて、どこまでも滑りもちれてゆくもの。ミューズの身体の各々の部位に対応している。音楽は文字では、捉え難い。
 それと同様に、ヴィーナスの各部位のひとつを坦っている映画も捉え難い。そうした音楽映画の捉えどころのなさは、逆にいえば音楽や映画が、それほど豊饒(ほう じょう)な表現(人工物)である、ということが出来るだろう。

 いつまで経っても『異邦人』に戻れないが・・・という訳で、次回は本書を紹介します。
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by ihatobo | 2015-06-18 18:00

オーネット・コールマン『夜の影』(ボブ・ディラン)その4

 オーネット・コールマンが亡なった、という。

 チャーリー・パーカーは、素直に自らのサウンドを追い求めた結果が彼の作品だった。
 同じように、オーネットが探究したのも彼の作品だが、オーネットは、チャーリーを本来のものとして自覚し、自分の探究を誰でもが演奏可能であるように「方法」を「作った」。
 その意味でモダーン・ジャズを本質的に改革した。
 いわゆる革命である。
 命を別の命にしてしまったのだ。共に、実際生き永らえながら…
 だから、受肉する筈の肉体が漬いえ去っても、大丈夫。
 彼は生きている。人々の耳のなかで、いつでも甦る。
 淋しくはない。「ロンリー・ウーマン」のように、シェイプ・オブ・ジャズ・トゥ・カムである。このデビュー作の邦題は「ジャズ 来たるべき姿」である。

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by ihatobo | 2015-06-16 23:14

『異邦人 その3』(アルベール・カミュ 新潮文庫)

 何事かと思って、しばらく見ていると、空カンボックスに茶のかたまりが飛び乗った。こげ茶の猫である。総毛を逆立てて、尻を持ち上げ隙間を覗き込んでいる。尾は三倍に膨れ、じっと動かない。カラスは、その隙間に身を隠しているのであろう。
 車が何台も行き交っている。この騒ぎが始まって、まだ数分も経っていない。私はテーブルから立ち上がり、窓際に寄った。窓を開けた。重いスチール枠である。突端に車道の騒音が部屋に崩れ込んできた。私は視線を動かさなかったが、一瞬の騒音に目をつむってしまった。目を開くと、何のドラマもない、いつもの風景に戻ってしまった。
 私は、その騒音に頭を突っ込み、身を乗り出した。気配を伺う、というのは、このことなのかと思いながら騒音の中に声を探った。匂いや音、風の具合は分ったが、何ひとつ変わらない、いつもの外景であった。私はCDを止めた。
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by ihatobo | 2015-06-16 09:19

『異邦人 その2』(アルベール・カミュ 新潮文庫)

 この時、流れていたのはエグベルト・ジスモンチの『ソロ』(独 ECM1136 1979年)。この年のECM は、その後の南米初のNEW ミュージックのアーティストに、のめり込んでゆくが製作の方向をめぐって対立もあったようで、停系と思われるレーベルトが少なからず成立された。
 その中でもウィンター/ウィンターは中米、カリブ、アルゼンチンを含む、現地録音をシリーズ化して私を喜ばしたが、その本体ECM の83年にディノ・サル―シの『カルトラム』(ECM 1251)がある。

 ひと言で言えば、フォークス・パンクである。やはりディノのソロで、バンドネオン、ヴォイス、パーカッション、フルートを扱うライブらしきパフォーマンス・ライヴ。

 さて、その後のカラスは、どうなったであろうか・・・ (つづく)
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by ihatobo | 2015-06-15 22:19

『異邦人』(アルベール・カミュ 新潮文庫)

 その部屋の窓を開けると、暖かい風が吹き込んだ。春の匂いがする。少し湿った風だ。路を隔てた向かい側のビルに、ジュースの自販機がある。

 小路に入る各地に、それは直角に二台、並べられていた。午后の陽光を反射して輝いていた。視様をテーブルのカップに落とした時に、空を横切って影が自販機に降り立った。見ると黒い翼を広げたカラスである。
 空缶ボックスと壁とのわずかな隙間に、それは嵌めり込んで翼をバタつかせている。(つづく)
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by ihatobo | 2015-06-13 10:12

『珈琲の本』(奥山儀人)と余白や出版の新刊

 当店、自主本シリーズ「秘密の喫茶店」の第一回<自分自身の医療のために>の製作を手伝ってくれた米澤伸弥が、ひょっこりやって来た。
 私はハッキリと止めた方がいいと忠告をしたのだが、しばらく見ないなと思っていた頃に、今日と同じようにひょっこり彼はやって来た。彼は私の忠告を振り切って、今でいうブック・カフェを、その時、開いた。すでに10年程以前である。
 しかし、そのブック・カフェ『余白や』は、2~3年で資金が底をつき閉店した。(だから忠告したでしょーが!!)しかも、その資金とは大手出版社を退いた“退職金” である。ったく。
 でも大手企業だから、年金収入が高額である。それで傷も乾かぬうちに、ネットだが古本販売に打って出た。古本ではなく“古書” である。この方も本ブログで紹介した『ビブリア古書堂』がヒットした時は、羽振りが良かった。
 自身で集めた“古書” が飛ぶように売れた。しかし、売っているのは “古書” である。一点モノである。売れてしまえば在庫はない。「売りたい」が「売りたくない」。
 その主旨で今回「古書店とは」というアンケートに応えたそうである。それを、そのまま答えたのであったが、その矛盾に気づいた彼は今回の主役『珈琲の本』を出したくなりつつある。いわゆる復刻版である。
 凝り性である彼は、その段になって、紙の風合いが・・・手に持った時の軽さ(重さ)がなァ・・・とブツブツいっている。しかも「こちらは現実でサ、黒田恭一さん知ってるよね・・・」といい、黒田さんの「10冊余りの著者で読めるのが2冊しかない」そうで、それを復刻するそうである。

 「今日ゲラを渡してきた」と編集者の笑顔になって彼は言った。どうなることか、夏には本が出るそうである。当店でも売ります。
 米澤さん、久々の編集本デアル。しかし、版元も作ってしまったそうだから、いつ倒産、絶版になるか・・・
 ちなみに、『珈琲の本』オリジナルを彼は持っている!
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by ihatobo | 2015-06-09 11:02

『夜の青い影』ボブ・ディラン③


 ビリー・ホリデーの歌で私は知っている I'm a fool to want you (本作の冒頭一曲目に収録)であるが、
 歌詞が
 Let me back when I love you
 Call me ・・・
 と続くのは知らなかった。
 それを知って改めて『レディ・イン・サテン』(ビリー・ホリデー)を聴くと、そこにはレディデーの人生が露き出されていた。バラッドである。
 続いてケースに三曲のタイトルが貼られている。Full moon and empty arms.と Stay with me :三番目が What'll I do
 この円形のシールが、“青い”アルバムがバラッド集であり、全体にストーリーを持ってるぜ、と強調している。
 『花火』に続けとばかりに、小利口、浅ましい、なさけない、卑劣な、いやしい、あざといと6拍子揃った作品が、とやかく取り沙汰されるこの国の文芸に、こういうエスプリが感じられないのもムベナルかなである。
 このエスプリを日本語で作ろうとしてもうまくいかない。
 それこそ漫才、落語、漫談、講談にすれば、エスプリになるのだが・・・

 あちこちに飛んで申し訳ないが、この“青いアルバム”、しみじみとよいのであった。
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by ihatobo | 2015-06-07 17:42

『「行ってきます」を英語でいえますか?』(守 誠 サンリオ 476円)

 先回ZAZ.〝スタンダードを歌う〟で紹介した駅前商店街の靴屋さんから昨日もアルバムが聞こえてきた。
 今日二回目なので一瞬、一秒でそれと分った。「あの声だ」
 どの曲かの詮索は既にどうでもよく、靴屋さんと喫茶店が、同じCDを持っているという事実が、私を喜ばせる。

 そういえば商店街広告放送が健在であった頃、反対口の商店街にあるレコード店の提供で「レコードを買う人は、本物の音楽ファンです」というコピーがあったが、この街はそうした商店主が店を構え集客に工夫を凝らし、結果街の雰囲気を作って来たのだ。
 商店街の歴史を編纂した70年史によると、大戦前にドイツの編成部隊がこの街にやってきた際の写真が載っている。しかも、表2見開きである。
 結局、技術は文化なのである。
 兵士も裸で銃を肩に戦うことはできない訳だから、当時の裁縫機であるミシンを携えて、「後方」支援の技術指導にかの部隊はこの街へやってきたのだろう。
 というところで、今日はまた実用書である。他人と生活を共にするのに、コトバが必携なのはいうまでもない。
 この語句集の特徴は、旅行、食事、宿泊、などでよく使われる語句ではなく、どちらかといえばごく親しい間柄ーーたとえば、自分の子供との会話でしか使われることのない語句を集めていることだ。
 タイトルにあるように「行ってきます」をどういうのか、といった語句である。
 あいさつである。「いただきまーす」とか。
 副題にーー小学校で習った言葉ーーとある。
 それらが、面白いことに理科、算数、国語、体育…という具合に章立てられている。
 大変に参考になる。
 思えば小学校低学年では1+1=2や、あいうえおを使って「自分の名前を書きましょう」といった授業であった。それが大人になった自分自身の自己形成というか、自己確認というか、そうした作業に大変役立ちそうである。
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by ihatobo | 2015-06-07 10:22