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『坂本龍一×東京新聞 脱原発とメディアを考える』(12月初頭販売)

 音楽家・坂本龍一の現状況をめぐる討論集が、東京新聞社から出版される。討論の解説付き。その他、作家、ジャーナリスト、学者らの寄稿も併録されている。
 音楽家が自らの作品と、現状況をどう関連付けているのか興味が湧く。
 現代に入ってからの音楽家、学者達は、この時代とどう付き添ってきたのか、を考える時にひとつの軸として大変に参考になるのではないだろうか。
 たとえば、ボブ・ディランに手を引かれるようにして、寄り添ってきた私としては、この本に将来に対する兆しが、垣間見えるような気がするのだ。
 じきに発表されます。
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by ihatobo | 2014-11-27 18:21

『エコノミニスト 11月号』(佐藤 卓己 11/25付)


 ディランは、結局「おや、まぁ、大変!」(oh!Mercy 89年)に辿り着き、その対象となる事柄を探して、いまも目を光らせて日々を送っていると思われるが、それは私にとって同じである。ただディランほどの蓄え(経験)がないために、レンジ(視界)は狭いかもしれないが…
 「おや、まぁ、大変!」と歌っているうちに、私から眺めれば、現状況は果てしない旅に出てしまったようだ。
 佐藤卓己によると国家の役割を軽視することが、国際社会のシステムにとっていかに危険かを、もう一度肝に銘じなければならない。
 その危険とは、宗教にしろ共同体における帰属意識にしろ、そうした人間の本質的な「欲望」が、前景に浮かび上がってくるからだ。こうした時勢は、対立、抗争を引き出すから。
 季節の流れが、このように移っている現在に激しい夏が終わり、あっという間に秋が訪れたが、台風や火山の噴火、地震、集中豪雨が相次いで訪れ、その秋も短く終わってしまった。冬である。
 少なくとも、3月の声をきくまでの3か月は真冬である。ミルクを使う私たちの店のメニューも、注文が重なり、急な来店で牛乳を買いに走ることも度々である。牛さんも子どもの目鼻がつくまでの間、栄養を乳に仕込んでいる。ホッチョコ、シナモン・ミルク、スパイス・ミルク・ティーも、より一層おいしくコクが味わえる。この季節では、楽しみでもあります。
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by ihatobo | 2014-11-27 10:18

『知の収穫』(呉 智英 メディアファクトリー93年)

 本書は二部構成で、一部が書籍、二部はマンガの紹介本。
 マンガ紹介の冒頭は『鳥獣草魚』(斉藤なずな、小学館文庫)
 切ない読後をもたらす作品。という描線は、ジョージ秋山に似ている。
 同じ見開きに、漫☆画太郎の『珍遊記』(集英社)が紹介されている。描線は、つげ兄弟、林静一を思わせる。
 荒唐無稽、奇想天外な西遊記のパロディ作品という。それを「自分の物のした」は呉の評価。
 はじめに、で、一 本は時代を映す。とあるように、本書は”時評”本である。年次は87-92年の作品を扱っている。一方、一部冒頭に紹介されているのは『イメージの回廊』(坂根厳夫 朝日新聞社 85年)国際化社会で重要な”異文化コミュニケーション”だが、ここに異文化によるのは、イメージ情報が異なることに注目して、コミュニケ―ションを成就しようと、著者は指摘している。
 ユニセフの下でマラリア感染防止活動に従事していた彼は、現場で貼ったポスターの虹のサイズが大変拡大されていた為に、それを眺める人々には「バッタ」としてしか伝わらないことに注意を促している。
 といった現場の報告をまとめた体験を中心に数十冊が、取り上げられている。
 そうした視点から眺めてみる読書論もあり、大変に説得力のあるエッセーになっている。
 文庫化されている筈なので、是非読んでみて下さい。
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by ihatobo | 2014-11-23 10:14

『優しい歌』(岩崎書店2001年)

<この際>シリーズ第一弾。
『ミスターチルドレン詩集』の冒頭、「チルドレンズ、ワールド」これまで辿ってきた本たちは、要するに音楽を意味あるものにする為の本たちである。
音楽に意味があっても、無くてもいいのだが、そこに手を入れてみると、音楽が急に活気づき、どんな楽曲でも生々と鳴る。その鳴っている曲を、音楽が鳴ってゆく様子を、素直に綴ったのが、本作品。
他、01年の、ベスト2枚組までの5枚の作品の中の、ベスト・チューンが、ここに掲載されている。(全部で35作)
所々に背景を造っている写真(イメージ)も、とても美しい。
どこかで眺めてみて下さい。
 
愛する喜びに満ちあふれた歌    「優しい歌」より
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by ihatobo | 2014-11-22 21:38

『アルケミスト』(パウロ・コエーリョ 1988→03年 角川文庫)著者出世作

 著者のいわんとすることに必要なキーワードが印される。

 羊 ー 服 ー 教会 ー 棒 ー 狼
 星 ー 生命 ー 時割り ー 名
 商人 ー いちじく ー 少女

 著者はポルトガル語を綴ってゆくが、より拡大な地理・歴史に物語は開かれている。
 書名のタイトルは「錬金術」。鉛とイオウから金を造り出す、という中世の化学である。
 本ブログの読者は大概察しがついたと思うが、この少年の好きな少女の恋は、結局結ばれるのだろうか。 
 
 少年によってシンデレラからフツーの女に戻った少女のキスは ー
「ずっと遠くからゆっくりとゆっくりとやって来て、少年のくちびるの上でとまった。」
「それは彼女からとどいたはじめてのキスだった。」
 少年は言う「僕はすぐ戻るよ、ファティマ」
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by ihatobo | 2014-11-21 00:18

「今年1年の振り返り」

 今年1年の新刊を振り返れば、文庫化新刊を含んで三冊とさせていただきました。
 ①『ぼくたちが聖書について知りたかったこと』(小学館文庫)
 本書は聖書講読の碩学、秋吉輝雄に対するインタビューというワォーマットだが、多言語に訳されてきた聖書を丹念に読んできた現在の第一人者である秋吉の初の単行本で、地理・歴史=地政学の本でもある。
 ②三冊はいずれも理系本だが、数学の思考そのものが理系の成果であるから、本書は①③の証拠(物的形質)となる本で、現在の世界(宇宙)を読む場合の補助線となる。
 ③世界(宇宙)は共に人を含んで存在する〈環境〉だから、その内側(内臓)と外側(体表/感覚器官)が、実は同等に心を浮かび上がらせるという知見を展開していたのが三木成夫で、ページの裏側から心を押し上げ、ページが私の鼻先へ盛り上がってくる。
 いつでも現在を生きる私たち一人ひとりに、希望を与えてくれる。心を押し上げる者は意識である。どこからともなく浮び上がってきたものを、各付けるのは意識である。その各付けられたものが心である。
 心臓のフォノグラムであるシンを漢字にあてはめられたのが〈心〉。それは、いつからともなく浮び上がって私たち万人である。
 先週末あたりから今その秋は短く終わり、いよいよ本格的な冬が始まった。
 ところで、今年の中秋名月は追い名月と言われた上弦の端、とがった先が丸くかじられるようになる。
 月の下あごの先端が欠けるのだ。追い名月とは、そのようにあごが欠けることをいい、光源と地球と火星が一直線に並ぶときに現象する。
 もちろん、火星の影は地球にさえぎられ普段地球に届かず、太陽の衛星である二つの星が一直線から少しずれる時、この現象が観測される。
 その陰の部分が火星の影であり、月の顎の欠けた部分である。
 と言っても冬である。寒い。

 前回、扱った角田光代『紙の月』(春樹文庫)も、立派な手引き書なのだが…
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by ihatobo | 2014-11-18 11:07

『すばる(11月号)』ー サイード、国境越

 “自分”の考えをひとつひとつの文にすることが、そのまま哲学的行為なのだ、という哲学者サイードの、
     エッセイ 「Grenzgänge eine erinnerung」
           「cabajone wartet」 and 「der weisse loewe」(2004年)
 が、『すばる』(11月号)に、訳出(松永美穂)されている。

 今現在を生きる人々全てに、必読である。
 同号には、前野健太の第3回目のエッセーも載っているし、同誌の新人賞である「すばる文学賞」受賞作も掲載されている。他、やはり、“文芸誌”は、いろいろ得することが多い。

 ――あいつは私が手に入らない時、木にからだをこすりつけるのだ。
 が、必読である理由である。
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by ihatobo | 2014-11-13 22:48

『物質的恍惚』(ル・クレジオ 1967〜)

 「いつまでこんなことやってんだろ」を勝手にシリーズ化することにした。シリーズのタイトルは〈何を今さら…〉
  というのも、新刊に面白いものがなければ、既存の本に興味が向く。
 筒井の回でもやったことを想い出し、この際シリーズ化しようと思い立った。で見つけたのがル・クレジオの『物質的恍惚』(豊崎光一・訳 岩波文庫)
 この際だから言っておくが、この老大家存命である。
 しかも、新作『戦争』も用意されている。(筒井も少し若い大家であるが新作を発表した)
 その私の現状判断の背中を押してくれるのが、“世田・美”(世田谷美術館)で20日まで開催されている「松本瑠樹コレクション-ユートピアを求めて」展。
 この展覧会を企画、応援した亀山都夫による解説が新聞に載せられている。(11月5日 付)
 その記事によると、まず、このタイトルに含まれる「ユートピア」である。
 このギリシャ語の語意は「どこにもない場所」。
 古来ヒトの書く物には、不可思議な空白が必ずあるもので、それは何だろう…と。それを想像するのも読む者の楽しみでもあるのだ。
 しかし、それをことばで自覚しないうちに、書物は終りを迎えてしまう。もどかしい。読むそばから失われてゆくものである。
 本書にある記述-「ぼくが望んだのは、生以前の虚無と以後の虚無を内包している(!)ような書物を創り上げること→(主旨)」は、私が読んでいる本に、出来上がる以前と以後が、内包されている。
 としたらその不可思議が私自身に移ってきてしまう。
 そういった書物自体が不可思議を湛えているのである…
 私たちの店は「どこにもない~」を文字れば「どこにでもある場所」として、ひたすら普通のコーヒーが飲めて、ひと休みできるテーブルをご用意しています。
 次回は、そのひたすら普通の小規模飲食店を扱った『カフェと日本人』(高井尚之 講談社現代新書 10年新刊)をご紹介します。
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by ihatobo | 2014-11-09 20:28 | 本の紹介

『カフェと日本人』(高井尚芝 講談社現代新書2287 10月新刊)

 ――「いつまで、こんなことやっているのだろう」という訳で、今回は私の生業、喫茶店にて書かれた本を読んだ。
 というのも、日々の場面でお客様からの問い合わせ対応に窮することがあり、その折に役立ちそうなのだ。
 本書は、日本のコーヒーを主に提供する小規模店が、「喫茶店」なのか「カフェ」なのかを問いながら日本独特のこれからの店舗を概観している。読者に分りやすくするために、2大チェーン店“スターバックス”と“ドトール”を比較しながら、その概観に境界線を引いてゆく方法で、それらの店舗の内容を紹介している。
 著者も「結局、カフェでも喫茶店でも大差はない」と記しているが、もっと以前に、日本にコーヒーと呼ばれる異国の飲み物が上陸した際のアレコレを現在から振り返ったおおまかな「歴史」を見渡している。
 ちょうど今日の出勤途上で、ダイドーの自販機前で「ダイドーの新商品をお配りしていまーす」という男女2人組が、販促/宣伝をしていた。一旦は通りすぎだが、50m程を引き返して一缶もらい飲んでみた。
 と、本書に書かれている主要な記述がそのまま一缶に詰まっている味で、現在の「カフェと日本人」そのままであった。ちなみに、その内容から私は迷うことなく女性の方から一缶をいただいた。
 是非、興味のある方は一缶を飲んでみて下さい。
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by ihatobo | 2014-11-07 10:53

『田附 勝 ー おわり。展~「沖で待つ」(絲山秋子)』

 先日、3日の夜、写真家田附勝と会話をした。そのことは、田附が来店すれば、店内が特に混雑していなければ、いつものなりゆきである。
 しかし、今回は日時を予め互いの予定に伴せ、しかも、その会話を公開する、という趣向である。
 カフェでよくやっている“トークショー”である。
 しかし、私たちの場合は、単なるトーキングス。ショーまで鍛えて臨んだわけではない。
 故に、話題は多岐に及び、面と向かってはいちいち言ったことのない、自分の名や、その音読みから年齢、生まれ育った環境、家族・親族の職業や歴史、…と短く、ごく短い2文字熟語で、互いに通じるように配慮した、配慮はしたが、私たちにとっては、普通にいつも通りの時間が過ぎて行った。
 その内に写真家としての田附の仕事仲間、ファン、友人らが続々とやって来た。
 田附には人望がある。「このヒトには望みがある」読んで字の如し。人望。
 その意味で田附の人柄に魅かれ、彼の写真集にも文を寄せるのが、社会(歴史)学の赤坂憲男さん。
 写真がどうの、という文では毛頭なく、田附の写真に魅せられて集まってくる人々の、語り合うコトバを、継ぎ合わせたかのような、切実なつぶやきのような、言い争いのような、寄り沿うコトバが、彼の写真集に綴られている。

 人望の備わった人はいるもので、その人を主人公に据えたのが『沖で待つ』(絲山秋子 04,5→06年の文庫化 09文春文庫)
 「オレいつまで、こんなこ、とやってんだろう」
 と、主人公の死んだ片割れがいいます!
 「医院で、いつまでたって、も名前呼ばれないような感じ」と彼はいいます。「診察券は出したのに(…)」
 それ「でも仕方ないから待合室にいつま、でもいる」と。
 相方はいう「また太ったんじゃない」と。
 とにかく、文がうまい!こんなんだったら死んでみるのもいいかな、と思わせてくれた。〈 死 〉は意外に近くにある。


 
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by ihatobo | 2014-11-06 23:39