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『空海の思想』(竹内信夫  ちくま新書14年 )その1

 宇宙の始まりに起こったビッグバン。その前後を探ると、前・後の順序も消え去って、いまこの宇宙の姿が見える。そのために、いまのこの宇宙にある「重力波」を捉えようとする観測装置が、日欧米の三箇所に建設されている。
 それが捉えられれば「証拠」となり研究が進む。米国の装置が先行してフル稼働、欧が現在改造中。どの装置でも年間10回ほどのチャンスがある。日本は17年の試運転を目指している。
 さて、その観測装置もない大昔(774-835年)に、空海も同じ様に宇宙の始まりの探求を始めた。
 彼が持っていた「証拠」は仏典である。
 例の翻訳のプロセスがあるにせよ、「宇宙の始まりの前後を探る、前・後の順序」が消え去り、「いまの宇宙の姿が見える」そうしたプロセスが本書で述べられている。
 決して大袈裟な関連づけではない。
 本書あとがきにあるように、「空海もベルクソンも、智を求めて努力する自由の境地を共有している。」端折ってしまうが、西洋哲学が2000年近くを掛けて「存在」を“解体”したように「生成」こそが真実であって、その「発見」は時間・空間を越え、それ(順序、存在)を消し去る。
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by ihatobo | 2014-08-30 12:09

『エンデのメモ箱』(ミヒヤエル・エンデ 田村都志夫・訳 岩波書店 13年)

 本書は、私たちの店の本棚に、すでに36年間、居座っている『モモ』(1976年)の作者ミヒヤエル・エンデの“創作ノート”である。
 正確にいえば、着想したメモ、詩、短い芝居(コント/スケッチ)文明批判、来日公演の記録、生い立ち記、インタビューや手紙等を収めている。
 さて、筒井康隆の回で触れたように日本語では「寸劇」のコトバを当てるコント・スケッチの実際を、この本は示している。
 「後期ロマン派」に属する(創始した)ホフマン、グリム兄弟と同時代の作家を父・エドガーに持つエンデの「メモ箱」は、今を生きる私に重要である。
 さて、その前に本書の「天上の音楽の夢」である。ずいぶん前に紹介
したデューク・エリントンの「A列車で行こう」を収録したCDの身元が判明したので、お知らせしておきます。
 それは、デューク・エリントンの10枚組BOXであった。ヴァ―ブの2枚組 エラ&デュークは持っていたが、そこには入っていたか覚えがない。とにかく、ロック!である。
 その行きつけの店で、また新しい情報をゲットした。
 オマーラが04年に、あの「タブー」を歌っている。次回につづく。

 「悪」というのは、ある「善なるもの」が間違った場所にいるに過ぎない。というのが、私の意見です。とエンデはいう。
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by ihatobo | 2014-08-28 17:33

『内臓とこころ』(三木成夫)その4

 その「そこに“あたま”の噛み合ってゆくいきさつ」が、以下に述べられてゆくわけだが、この“あたま”を著者は“定義”している。
――私どもの“あたま”は“こころ”で感じたものを、いわば切り取って固定する作用を持っている。
 つまり、作用/反作用の作用を“あたま”といっている。
 そして、「つまり、この段階で、もう“あたま”の動きの微かな萌しが出ているのです。」
 そのいきさつを「切り取って固定」しているのが、121Pの図版で、解説に「上段は、満一歳の幼児の指さしの瞬間。――下段は、アダムの人差し指に魂が注入されている瞬間。」とある。
 「?」と思われるかもしれないが、ここで述べられている筒処に喫茶店の日常語が出て来る!
 それが、「指示」と「把握」
 スタッフは言外に、つまり“分らない”から、それを知っている者に尋ねる。しかし、順番が逆転しているので、尋ねられた方はどう発話したらいいか“分らない”。
 自分が把握している事柄をやってしまう。それが先で、それが違っている場合に指示が始めて発話される。
 “分らない”けれど、やったことがある(把握)段階で初めてやったこと(体験)が修正される。
 “分らない”ままだと指示が出来ない。のである。
 大変に込み入った記述で、本書は貫かれているが、逆に読む者(私)が既に把握している事柄として読んでしまう(誤読)と、数行あとにはそれが修正されて正しい経験となって認識される。
 何だかパズルのような非常に知的なゲームのような、要は自分が美しくなってゆくのが実感できる…エステ本のような…
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by ihatobo | 2014-08-24 15:22

『内臓とこころ』(三木成夫)その3

 さて「こころ」はどのように発生(機序)したのか?
 それが第二章に述べられている。本当に。
 心理学や文学ではない。事実(=科学)として述べられている。
 冒頭、「再現」というコトバで文脈が提示される。
 ー (こころは)なにか夢のような、厳密にいえば、完全に形象化されたひとつの光景として現れてくるのです。

 それが「数百年前そして数千万年の歳月が」いわば「おもかげ」として(幼児に)去来し、過ぎ去る。
その数千万年の歳月が現実の人の幼児段階で、ボンヤリと一瞬間「再現」される。
その一瞬間は、現実の長い人の寿命の期間の一瞬ほどに短い。

ー (現実の)私のささやかな経験ですが(・・・)

 と、続く。

ー これほどつかみにくい世界も、めったにありません。
 この世界を「こころの目覚め」というコトバで著者は述べる。
 そして、そこに“あたま”の「歯み合ってゆくいきさつを、そうした角度から断片的ながら、振り帰ってみようと思います。」

 ワクワクしてくる私であった。つづく。


 
 
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by ihatobo | 2014-08-22 23:08 | 本の紹介

『内臓とこころ』その2(三木成夫 河出文庫1982→2014年)

 狙いどうり「はじめに」から第一章へと、イキナリ私自身に役立つ記述が目白押しで、読み進むにつれて、自分の身体に関する不安が消えて行く。
 薬を飲んだわけでもなく、施術を受けたのでもないが、明るさと快感が味わえる。快癒、軽快が私に訪れる。
 しかし、三木さんが対象としているのは人の体だから、世界の人々に共有される。
 --手足と脳つまり「感覚•運転」(…)は「体壁系」と呼ばれております。
 そして、
 --体の内側に蔵された、文字通り「内臓系」です。
 と、人はこのふたつの系でできている。と。
 --この内臓系の感覚が、赤ん坊では、いったいどんなにしてできてくるのか…。この模様を動物の世界とも比較しながら、できるかぎり広い視野のなかで眺めてみたい。
 つまり、人だけではなく、まして「自分」もなくなる生物一般の「内臓とこころ」について、本当に述べられている。
 「自分」がどんどん小さくなって行って、宇宙開闢以来のチリになって快癒される。
 さて、その「体壁系」と「内臓系」どういう位置関係かというと、ひとつの入口と出口を持つ菅の表と裏、である。

 ただし、その表と裏がつながって連続している。
 「?」となるところだか、つまり、“クラインの壺”になっている。
 入口(出口)の端が内側へまるめ込まれている。と。
 まず、「外壁系」に聴、味、触などの「感覚」器官が並んでいる。触が分かりやすいが、風、寒暖など「自分」外側にある環境を把握しているから「運動」を感ずる。
 その「自分」以外を「内臓系」に取り込む。たとえば食事。「自分」以外の何を食べたいかを、「感覚、運動」が選ぶ(味)。
 本書は先回書名を挙げた『胎児の世界』に先立つ連続公演をまとめた三木さんのデビュー作。
 まだまだ紹介し尽くせない「人類史的業績」(後藤仁敏)である。

さて、次回は「心」である。心は、どのようにして発生したのか。
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by ihatobo | 2014-08-21 20:32

『内臓とこころ』(三木成夫 河出文庫)

 沿線の駅近の喫茶店へ月に一回程通っている。
 何ということはないBGMが天井で鳴っている。イージー・リスニングだったり、60年代のポップスだったり。
 先月、仕事の打ち合せがあり、その駅で待ち合せをした。
 ランチが終ったばかりの店内に残っていたお客様はわづかだったが、厨房は、その後始末で湯気が立っていた。
 その打ち合せの前に煙草をふかしに入ったのだが、カウンターで注文すると、女の子がわづかに瞳を伏せ「いまコーヒーを煎てているので少しお待ちいただけますか」という。いいッスよ、と私は振り返ってどの席に坐ろうかと、見回すともなく見ていた。
 「あのお席までお持ちしますので」あァ、と私はいい席についた。
 間もなく、運ばれて来たコーヒーをテーブルに置く時に、また彼女は短く目を伏せた。
 その短さがとても清楚だった。

 次回は三木成夫さんの『内臓とこころ』(河出文庫)を紹介しようと思う。彼は発生、進化を含む解剖学者で『胎児の世界』(中公新書)は名著。


 
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by ihatobo | 2014-08-21 00:43

『東京プリズン』(赤坂真理 河出書房新社12→14年)

 7月の半ばになって、秋の虫が鳴いたのに少し驚いたが、その一夜でピタリと収まった。
 そして、大(台)風、大雨と続き、立秋。
 関東北部の猛暑、それが埼玉や八王寺まで降りてきて、都内・近県のお年寄りを中心に、熱中症による死亡事故が相次いでいる。
 そういえば、蝉が鳴かないなァと思っている。
 通勤路にほどほど広い、庭とまでいえない鬱蒼とした北側に面する雑木林があり、少し遠回りだか、蝉の声を頼りに行ってみた。
 そこに夏があった。
 アタマが真白になる大音響がそこには降っていた。

 意識/コトバは、脳全体のわずか2%が司るというが、全くその通りで意識はトビ、全身が耳と化した如く脚も出ず、暫く立ち尽した。
 暑いが乾いていて、その日の通勤は幸せであった。
 「さァ、今日も暑くなるよー」と誰かの掛け声が聞こえたようだった。(よし、今日一日ガンバロー)

 本ブログで紹介した赤坂真理の長篇『東京プリズン』(12年)が文庫になった。是非この機会に、しんどいのは本作もそうだが、夏らしいというか夏のテーマである。暑いんだから仕方ない。
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by ihatobo | 2014-08-18 02:19 | 本の紹介

『女は後半からがおもしろい』(坂東真理子、上野千鶴子 集英社文庫 2011→14年)

 『なしくずしの死』はまだ10分の1しか読んでないが、飽きてしまった。
 で、今回はタイトルに明るさを感じた本書を先に読んだ。
 第一章の小見出し「大学で学んだことは何もありません(笑)」で、額面どうりではないにしろ、私にも思い当り、自分の体験と照らし合わせて読んだ。
 二十前後の体験は、短いスパンではバイアスがかかるものである。黙っておくのが懸命。その体験が熟成する。だから、まず疑ってかかった。
 『短篇小説講義』(筒井康隆 7/1付)で触れたが、本書でも「ひとつのセンテンスにはひとつの意味だけ」を持つ対話が進んでいき、ここでも「個人」の、ではない重層的な文が造られてゆく。「ちがいすぎる私たち」が章タイトルだが、以後それが一貫していて気持ちがいい。
 彼女ら、ふたり共に優秀であり高学力。
 しかし、私には、それが集中力であり、二十前後の環境がそれをサポートしていたと理解した。以後の紹介の前に、取り急ぎ若い女性には、この本をぜひ読んでいただきたい。
 第三章は、私が是非にという理由が充ちている。
 それを本当はおじさんを含む男子に熟読してほしい。で、彼女たちは「仕事の楽しさも組織を動かす醍醐味」も味わっているが、それを長い期間をかけて自らの手とアタマを使って築いた。(第四章)
 で、孤立しながらスケールは違うものの、私もその楽しさと醍醐味、孤立を知っている。
 是非じっくりと、男子も読んでほしい。

とはいうものの私の親は、手に職をつけなさいといい、反面芸術じゃ喰えんといわれた記憶が蘇る。更に、芸は身を助く、とか。アレは芸に身を託す、だったのか。いずれにしてもムズカシイ。
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by ihatobo | 2014-08-14 18:54

『なしくずしの死』(ルイ - フェルナン・セリーヌ 上下巻 高坂和彦・訳 河出書房新社1936→78→02年)

 前回の『突然炎のごとく』と稲葉真弓による阿部薫、鈴木いずみ夫妻に取材した小説(物語)『エンドレス・ワルツ』と同時期、ヒソヒソと噂されていた本の一冊が本書。
 『突然~』は1953年、『エンドレス・ワルツ』は87年と書かれた年は異なっているものの、若者の「自我」の確立と崩壊の物語である。
 後者は同時期(70年前後)の実際のカップルが残していたコトバ、文、録音、日記など著者の取材を基にした小説で、最後の数ページに突然(火の如く・笑)一人称の回想/記述?となって終わる。
 つまり、それまでは、いわゆる客観的な著者がいて各々の会話も事実(取材)に基いて構成されるのだが 最終的には人称なしで続いて来た物語が、ひっくり返されて一人称だが、私たちという意味での複数が、私 つまり著者の書いた物語として終わる。
 後者の初読時は、この二人を知る者として私は読んだのだが読後感がきつねにつままれたようで、なお爽やかだったのを覚えている。
 さて今回は、その阿部が耽読していたルイ - フェルナン・セリーヌの『なしくずしの死』を読んでみようと考えている。
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by ihatobo | 2014-08-09 18:14

Jules et Jim その2

 本書のあとがきで、訳者、伊東守男が伝えるように、著者は「欧米独特のディレッタントの生涯を送っていたらしいが、1953年、つまり作者74才のとき初めて長篇小説を物にした。それが本書に他ならない」
 と、いう。ディレッタントは辞典によると「文学、美術の愛好家」とある。丁度、私のことである。いわゆる好事(こうず)家、町内のウルサ方である。
 伊東は欧米独特と端折っているが、武装解除された当時の上流階級である武士、教養に通じた僧、出島の大店(おおたな)商人は、より直接に物品を扱い、医術(学)を習得し、生産し、流通させていた。
 だから、本書の著者が、人生の大半を好事家として過ごし、「そろそろ時間がなくなってきたな」と、晩年“漢字学”三部作を私たちに残し、92才で亡った白河静を想えば、さもありなん、である。
 しかし、白川先生は現在の漢字圏で、紛れもなく一番漢字を識る存在である。
 話は戻るが、前述の寂聴氏も現在同じ年齢で健在。先回触れたJ・L・ゴダールも新作を造り続け、同年齢である。
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by ihatobo | 2014-08-08 00:36