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『池波正太郎 「自前」の思想 / 佐高信 田中優子』(集英社新書 12年)

たまたま『池波正太郎 「自前」の思想』を読んでいたら、ボブ・ディランこそ「自前」の人だ、と思った。
本書では、「自前」を「自立」をひき合いに出して説明している。
つまり、「自前」はまず一人で生活が成り立つように、社会に出、学び、「食えている」状態を獲得する。そうすれば「世間は認める」
しかし、「自立」は、いわば順序が逆で、既に衆知されている社会に追従し、そこから、その代償として、金銭や地位、名誉を得る。
それが、「どこに出しても恥かしくない」と。

もちろん、ディランは「どこに出しても恥かしくない」。
しかし、時と場合によっては、「どこに出しても」にはならないだろう。人はそういうものである。
本書でも、一貫して、その事情をネガティブに扱っていない。しかも、無責任に社会に出ろ、とそそのかしているのでも、決してない。
佐高が「(行くべき道は)書かれていない」という映画(『アラビアのロレンス』)の台詞を引用するように、始めから計画された分岐を撰択するのではなく、分岐を眼前に、撰ぶ原則を「自前」は備えている。
ヒトに尋ねられて正答できるものではない。
そこでは、しっかりすること。自分の持っているものを全て捨て去り、全てを想い出さなければならない。その場面では、すっと、カラダが前へ出るものである。
だから、「自前」は「比較のしようがない」(本文)「世間」に鍛えられているのだ。

ちなみに自前の対が自立だとすれば、世間の対は「世界」である。
カラダが前へすっと出た時に、実は「世界」の前に立っているのである。
ディランは私たちの前に立っているではないか!
ディランは英語で歌っているにも関わらず。
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by ihatobo | 2014-04-30 21:06 | 本の紹介

『ボブ・ディラン』( 湯浅 学 )その2

 静かに雨の降る日に部屋にいると、その事実に囲まれて心が穏やかに澄んでくる。そんな日に、
 ーサティが鳴っている。くり返し、くり返し( 反復、反復… )
 と歌ったのは79年のマイケル・フランクス『タイガー・イン・ザ・レイン』だが、その4年前のディランは、冤罪事件に巻き込まれたボクサー、ルビン・カーターを歌った。こちらのタイトルは「ハリケーン」
 日本の冤罪事件と同様「そして新聞はみんなつきあった」
 このアルバム『デザイヤ』には、ディランと共に同時代を過ごし、互いのイベントも交差していたアレン・ギンズバーグが文を寄せている。ーWhere do I begin‥と書き出される本文は、私が正確に把握しているか心もとないが、エーゴがいい。
 「毒と驚異」で満ちている夜の街路で…エゴをなくして正確なフレージングをはっきり言うことなのだ。ーアレンはそういう。
 そして、4曲目「コーヒーをもう一杯」ー道行くためにコーヒーをもう一杯/もう一杯のコーヒーを飲んだら/下の谷へ降りるのだ
 私は彼のこのリフレインを知り、自分の“死生観”を定めた。( 店のカウンター内にこのリフレインがマジック書きで掲げられている )
 「谷」は聖書では「地獄」「死」なのだ。…その前にコーヒーをもう一杯。
 コーヒー屋を支えてくれる一節である。
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by ihatobo | 2014-04-25 22:53 | 本の紹介

『ボブ・ディラン ロックの精霊』(湯浅 学 14年 岩波新書)

昨年に続いて来日公演中のボブ・ディラン。
彼がシーンへ登場した60年代は、表現行為とメディア、つまり、ある表現行為がメディア(会場、レコード)を媒介して、一般の人々の支持を集めて成立することの、複雑怪奇さが事実として問題にされていた。
いわく、大衆迎合(商業主義)と、真逆の大衆支持という、ポップであることが、ポピュラリティーとは別であり、その事情が当の表現者に対して「先が見えている」とか、「腰が坐っている」といった評価に分れて混在していた。
ずっと後になって、ボブはそれをポリティカル・ワールド(ワード)と歌うことになるが、それは、ポップ・ミュージックが本来的に孕んでいる本質である。

本書が集めているボブの発言は、彼がその事情に自覚的であったことを証している。
私自身としてはダニエル・ラノアとのアルバム制作となった『オー・マーシー』(89年)の期間の発言が欲しかったが、それはダニエルの『ソウル・マイニング』(鈴木コウロウ訳 12年 みすず書房)を紹介した時に少しだけ触れている(本ブログ 12年1月)

次回は、76年のボブのアルバム『デザイア』に寄せたアレン・ギンズバーグのライナー・ノーツを紹介しておきたい。
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by ihatobo | 2014-04-23 20:57 | 本の紹介

『般若心経』(玄侑宗久 ちくま新書 06年)その2

夕方以後は不安だが、日昼はようやく暖かくなって来た。
通勤途上の批把も、花がほころび実を結ぶ頃合である。
上衣は、セーターは、と迷う出掛の時刻が過ぎ去る春である。

「宇宙と一体になった」ように感ずることがある。というのが『宇宙論の神』であったが、それは「事実」である、という記述が仏典にある、というのが『般若心経』であった。
それを「梵我一如」と便述する、と。
それらの事情は、前回の『BIRD』の主人公チャーリー・パーカーの言動と同様に、パラドクスのこみ入り、複雑さと、同等である、と私は考えている。
しかし、般若心経も、元々がサンスクリット(パーリ)語の漢訳(音写)であり、それが更に日本語(音)に訳されて、あの私達が知る”読経”になっているから、その点でも更にこみ入っている。
ともあれ本書は、心のわだかまり、障碍を取り去る便法も述べられており、その章句としてはよく見る「色即是空、空即是色」の背景の詳述は圧巻である。
それでも、私たちパンピーにしてみれば、その境地に至っている「善男人、善女人」の集合が作り出してしまう、この国のメンタリティ(心性)には私は組したくない。

”訳本”として最善である、と考えるが、半端に読んではならない、とも思う。
心にわだかまりや障碍をストックしておくのも、店を運営する身としては、必要だからである。

シャルパンティエ、ということもあるし。
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by ihatobo | 2014-04-16 21:29 | 本の紹介

『BIRD』(クリント・イーストウッド制作・監督 ワーナー 88年)

 学生時代に縁あってジャズの専門誌が求人していると、紹介され、面接に出かけた。
 長髪 + 髭面である。身なりの手入れなどアタマにない。ジャズ・レコードに「詳しい」ということで採用となり、学校近くの“ジャズ喫茶”でのバイトを止めた。
 一応“就活”のアタマがあったから、唯一、対等に話ができた友人にいうと「好きなんだから編集くらいできるっしょ」と、軽い。
 その雑誌がチャーリー・パーカー特集をやるという。
 副題はビーバップ革命、入社して2年目である。
 混迷?の時期、基本的なデータを集めようと、10年ごとに区切って、つまり、年表を巻頭に措いて、この雑誌は良心的資料誌の位置を固めようとしていた。
 世は“ニュー・シング”全盛で、ディラン、S&G、ホワイト・アルバム(ビートルズ)、サイケデリック、ボサノバ、フリーフォームから「小さなスナック」までが、街に溢れている。そういう時代であった。

 要は聞いたこと、見たことがなければ“ニュー・シング”であり、それがポップであった。
 そういう「時と場所」で聴いたバードは確立されていて動かしようがなかった、いまでいうビルド・アップされていた。
 私の基本方針は、無くならないものは後回わし、だったので、10年か、長い間レコードは“積ン読”であった。
 しかし、本映画を観て、後回わしにしておいたものが、一気にいまの私にヒットした。
 映画も、サントラも、ヤバイ。
 どこから、何を述べても語り尽きることのない芳醇さ、シーンごとに滋味が漂っている。しかも、危険。
 バードはこの伝記映画が伝えるように、その人生も演奏も、何もかもがパラレルに進み、そのシーンが、こみ入り、更に複雑に絡み合って実在!していた。

 「動かしようがない」のはそういうことだったのか、と合点した。フィクションなのに実在している!
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by ihatobo | 2014-04-11 23:13

『宇宙論と神』(池内 了)その2 - 『般若心経』(玄侑宗久 ちくま新書 06年)

 本書で知ったのが、「インフレーション理論」という宇宙像(観)を描くための理論(仮説)だったが、結章で、「わけのわからないもの」という項(ターム)を、つまり、人間の心的現象(人間原理)を加えることで、その理論が裏付けられる…というところまでは述べられていたが、そもそも「インフレーション」は、膨張の意味だが、その証拠(観測→実証)が「背景放射」とか「原始波動」が膨張時の衝撃の痕跡であることから、広い宇宙のどこかにある筈(仮設)だということで、世界中の望遠鏡が観測していた。
 去年の秋に「ビックス粒子」の”存在”は、逆方向から、物質を極微に観察した結果なのだが、先月、また「原始波動」の痕跡がみつかり、それらの成果は相互に対応することになった?
 チャラく言えば「重さ」の粒子(物質)が見つかったということで、重さが先か、粒子が先か、というナゾがいよいよ確かになったということになる。
 つまり、全宇宙共通の”摂理”である筈の順番は交換できない、もあやしくなっている「昨今デアル」。

 という所で今回は、本ブログ登場三度目の玄侑宗久さんを読んだ。『般若心経』(ちくま新書 06年)
出版されたのは知っていたが手許にあるのは翌月重版された4刷り。古本100円!だったが、それにしても破格に売れた本だったとは。
これも古本の愉しみなのだが、集中的に二つの章で30行程にマーカーが入っている。(で、スグだったのに安価だったのだ)
さて、内容であるが前置に関連する「シンクロニシティ」(共時性、カール・ユングの概念/術語)つまり、西欧的な原因→結果(因果)による現象の観測、分析→仮設→実証という、自然科学的な思考ではなく、夢のような、睡眠という条件下の心的現象の聴取、分析で得られた仮説を彼はこのコトバで記述した。
しかし、それはブッダが瞑想(睡眠という条件を意識的に作り出す方法)によって得たものと、同じであり、前置きがいう「昨今」つまり、時刻の順序もない…という。
そうした事柄が仏典を読み解くというフォーマットで、本書は記述されている。
しかし、著者は本書を「般若心経」の訳本として位置付けている。
著者は4才でこの経典を読経し、(暗記)以後、職業?柄、唱え続けているから、納得できる宣言である。
 音(楽)を聴いて感動すると意識が消え、宇宙と一体になったように感じるのは、どうやら本当(事実)らしいと。
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by ihatobo | 2014-04-09 21:24 | 本の紹介

『前野健太 ハッピーランチ 渋谷クラブクアトロ』

 クアトロは満杯で、30代男子に圧倒的に支持されているかの前野健太が、客席からステージに上がった。
 コマ切れのストップモーションはライトの効果。大昔、ディスコが大流行した頃、『ライディーン』をBGMに、点滅するライトが躍る若者を映し出していたのを思い出す。トシがバレる(笑い)
20年振りのクアトロに緊張気味の自分は爆音がズンズン響いてくるだけで、もっと音が聴きたい、と感じていた。
メンバー紹介は、前野健太が一人一人に『お題』を出してのインプロビゼーション形式だったのだが、コレは良かった。ソープランダーズ各々にわくわくしましたが、ジム・オルークのギターは宇宙的な雄大さで、ワンダホー!ワンダホー!緊張が一気に溶けて、ステージに惹き込まれました。
『ねえ、タクシー』『冬の海』etc.と一曲一曲楽しみました。
『悩み、不安、最高!!』は肉体を置き去りにしたかの様な、機械的な読経音楽とでもいうようなステージングで、とても自分にフィットしたものだった。CDで聴いただけでは分らなかったが、この夜、とても納得した。祈りの歌だった。前野健太、凄い!
『TOKYO STATION HOTEL』も『ファック・ミー』もこんなにいい歌だったのかとびっくりした。
恐らく、最初から最後まで計算されたステージで、言葉だって選んで使っているのだろうけれど、むき出しの熱いものが心にあふれて、流れた涙がたくさんあった夜でした。
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by ihatobo | 2014-04-08 07:12

『JAZZ 100年』(小学館)

 先回(3月9日付)の「パーツ付き組み立てマガジン」でロビ君という会話が楽しめるロボットを作る『週刊ロビ・再刊行版』を買ってきたが、既に飽きてしまった。
 そこで、今回は『JAZZ 100年』という「ジャズ耳養成マガジン」を試してみた。名曲がコンピされているCD付きである。
 “モダン・ジャズ”と呼ばれる戦後のポップ/ビート音楽だから、呼び名としては“ダンモ”つまり、モダン・ジャズなのだが、リズム&ブルースでもロック&ロールでも内容(要素)的には同じ、ポピュラー音楽である。その名曲・名演がこのCDには詰まっている。初回特別とはいえ、790円は安い。
 興味のある方は、超オススメである。
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by ihatobo | 2014-04-04 18:15