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<残響レコード>

一般的な''ジャズ喫茶''!では、店でかけるCD(LP)のケース(ジャケット)を、客席に面した壁面などに掲げて、現在進行で鳴っている楽曲のタイトル、アーティストなどが、すぐに知れるように設備されている。
しかし、私たちの店では、そうしていない。
耳を開いて聴いて欲しいからだ。視覚情報は強いので聴覚にバイアスをかけてしまう。
スタッフのなかにもジャズを系統によって聴き込んでいる者もいるが、なかには耳から音楽に入る者もいて、たとえばベン・ウェブスター/アート・テイタム(ヴァーブ)を聞いて、「このピアノは?」といって来る。
ある時は『アンダー・グラウンド』(T・モンク CBS 67、8年)の「イージー・ストリート」を聞くと「テディ・ウィルソン?」といってくる。
耳の記憶が見事(ジャズの)歴史を、いい当てている。
イリノイ・ジャケーのバンドにいたモンクがガレスピーに注目され、モンクのシンプルだが複雑に響く和音の積み重ねが、ビバップの喧噪(リズム)によって、美しいラインを導きだしたのが、歴史の内実だからだ。
彼女は「ベン・ウェブスターが好きなの」といって話を閉じ遠い眼差しを窓外へ向けた。
というのも渋谷に「音だけで選ぶ」CDショップがあるのを新聞で知り、これは''ジャズ喫茶''方式をこえている、と思ったからだ。
もちろん私たちの店でも流しているCD、LPに問い合わせがあれば、タイトル、アーティスト、レーベル、製作年などをメモにしてお渡ししている。
しかし、まず、耳で聞いてからだと私たちはフツーに考えている。
渋谷の店の名は<残響レコード>という。
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by ihatobo | 2014-02-28 19:40 | ニューズ

『この日のビートルズ』(上林 格、朝日文庫 13年)

ポップ・ミュージックがそれを聞く人々、ひとりひとりにヒットするのは、それを聞こうとする人々(ファン)によって、様々なポイントが用意されているからだが、その楽曲があるフィクションとして造り上げられ、それがそのまま動かしようのない水準に達していなければ、そもそもヒットしようがないのはいうまでもない。
だが、その動かしようのないフィクションは、一体誰に帰属しているのだろうか。
まず、第一に、その作品を創り上げた個有の人間に、である。
本書は、ビートルズの楽曲ごとに、当事者たちの様々な証言や回想を調べ上げ、その創作現場へ肉迫している。
たとえば最初に(メロディ)ラインが浮かんだ時のサウンドがどう聴こえたのか。
『ラヴァー・ソウル』『リヴォルバー』に収められた「イン・マイ・ライフ」「エリナー・リグビー」を中心に、いわゆる''スタジオ時期''と呼ばれるキラ星のような曲たちが、鍛えられてゆく様子はスリリングだ。
「終わってしまった」クラシックとフォーク(民謡)の混在の入組み具合が丹念に記述されている。
「ペニー・レイン」が何故あんなに透明な明るさを持っているのか、合点のいく、事実のプロセスが綴られている。
カレーの仕込みに「共通のルール」があるらしい(『カレーの教科書』水野仁輔、NHK出版 13年)ことだし。
ビートルズは、カレーは、誰に帰属しているのだろう…

p.s. 高橋恭司の展示会が、根津美術館近くのギャラリーで開かれているらしい。
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by ihatobo | 2014-02-26 21:14 | 本の紹介

『父・こんなこと』(幸田 文 新潮文庫55年)

 本書は『鉄の棺』(鈴木 寛 53年)に寄せた長女・幸田文による父(露件)の見取りの日記風エッセーである。私も先年、父を見取っているので、1ページを読むたびにヘトヘトになった。正確な記述だと思う。
 元々、モーダン・エイジの女性による作品に興味を持ったのは、その「近代」社会に、日々、日常(衣・食・住)をどのように彼女たちが対処したのかを、うかがい、知りたかったからだ。
 それは終始できなかった私自身の母親の日々、日常を探りたかったからでもある。
父(露件)を仰ぎみて育った著者とは、色合いは異なるものの、その視界は同じであった。
 その「隔り」が倒れ、ふせっている。行を追うには「勇気」がいる。「幼い恐怖」で押し切らねばならない。
 著者はこの年、短編・長編を書き上げ、作家としてデビューする。
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by ihatobo | 2014-02-21 19:47

寺尾紗穂『珈琲』

寺尾紗穂が歌う、『あなたに別れを告げましょう』(彼女の最新作『珈琲』MIDI MDCL-1541 13年)に収められている「ブラジルへ」は、どうやらカップルの破談を扱っているらしいが、和音が往復してビートを作っていて、明るい。
カップルの破談は、どちらにとってみても哀しさや憎悪があるものだが、この曲は明るい。
それは、「命」や「永遠」によって担保されているのだ、と私は思う。(〜この実を花束に忍ばせて/あなたに別れを告げましょう)
一緒に「住む」ことと一緒に「生きる」ことは異う。命/永遠がある時に共有されれば、別々の人生を生きようが、互いのなかに強さが生まれるのではないだろうか。
歌もそれを聴く人のなかに、シンプルな共感があるから、複数の人々のなかでも命/永遠が共有される。
歌の力である。
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by ihatobo | 2014-02-19 21:41 | CDの紹介

『ザ・ジャズ・ピアノ・オブ』『アローン&ライブ』(ジョン・コーツJr オムニサウンド 77年)

1970年前後期にそう呼ばれていた“ニュー・シング”な音楽は、フォーク(民謡)から「終ってしまった」クラシックまで、各々が世界の前で歌われ、演奏されていた。
ここ最近になって、それらのアルバムをかけることが多くなり、お客様の問い合わせも多く寄せられている。
先日亡くなったピート・シガーはまた別の成果を私たちに残してくれたが、ボブ・ディランにエレキ・ギターを持たせたトム・ウィルソンは、同時にヴェルベット・アンダーグランドを世に問うた。
ビートルズのホワイト・アルバムが物議を醸し出した頃である。
つまり、フォークもクラシックも混在していた。
ナナ・バスコンセルスのサラバ録音AFRICADEUS(リアリゼーションにミシェル・ルブランが参加)イタリアのDNAのJUMBO(伊メロウ/フィリップス72年)マルク・ムーランSam Suffy(CBS 75年)…
そのなかで、ひとりで“全て”をやろうとしたのが、キース・ジャレットだった。サムウェア・ビフォ(ディラン)を始め、自身のヴォーカルを含んだ多楽器アルバム(ヴォルテックス)そしてソロ・ピアノによるFacing You(ECM 72年)へと、彼は登り詰めてゆく。
その彼が「インスパイアされた」のが、ジョン・コーツ。
今回その余波を受けてアルバムになった2枚が、遠い日本で再発された。
弾いているジョンに去来している混在が聞いていると分る。
ビアノ・トリオとソロ、とても良い。
しかし、このように辿ってくると、エリントン、ミンガスと何よりもニューオリンズ、ヨーロッパのモダーンは、一貫して混在しているではないか!
当店で聴けます。そして、手に入れることも!(税金は当店で負担します。)
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by ihatobo | 2014-02-14 22:55 | CDの紹介

『料理』(高山なおみ リトルモア14年)

先週末、旧知の女性が店を訪れた。
一見、見知らぬ女性なので、いつも通り「音(楽)を大きめで流しています」「はい」「宜しくお願いします」で、ヴァン・ショーを作りテーブルへ運んだ。
日が長くなってきたとはいえ、既に寒い夜である。
彼女は、飲み物を気に入ってくれたようで、暫くすると白ワインを注文してくれた。
このデラウェアの白には経緯があり、現在も流通している「信州五ーワイン」である。確か。
その話はまた別の機会に。彼女は料理人であることだし。
で、そのワインも味をみると、彼女は席を立ち、ご自身の本を持ってカウンターまでやって来た。
メニューを出し、2回のオーダーで、彼女と視線が合うものの、想い起こせないまま、彼女の差し出す本を受け取った。
料理本である。
著者名を見ると、この個有名も私には旧知である。
そこでやっと気がついた。
「この高山なおみさんが、あなた⁈」
彼女が頷く。
「あの32〜3年以前にグッディで働いていました」(グッディは当時、下北沢にあったカフェ)
私の記憶が甦る。

という訳で、彼女の新刊『料理』(リトルモア 14年)を店で扱うことになった。よい♡
じっさに手に取ってみて下さい、
分かります。
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by ihatobo | 2014-02-13 07:43 | 本の紹介

家人のいない部屋

子供の時分は、雪の積もった朝は、人の歩かない雪上を選んで進んだものだったが、近頃は、人の通った跡をそろりと踏んで歩くようになった。
家人が出払った昼前に猫が雪を眺めていた。賢い老猫は、生活のリズムを規則正しく反復するのが常だから、窓ガラスに向かう後姿に視線を奪われた。
声をかけようかと迷っていると、室内の静寂が極立った。この包まれて気持ちが満ちてくる時間は久しぶりだった。
小雨の降り始めとも違う、永遠に続くかと思われる静寂。
ストーブで沸いた白湯を啜ってこの日は仕事へ出かけた。
『大雪』にもかかわらず、この日は普段より多勢のお客様で賑わった。
雪の日の静寂を求めているのだったかも知れない。喫茶店は家人のいない部屋であるのかも知れない。
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by ihatobo | 2014-02-10 18:31 | ある日

『間抜けの構造』(ビートたけし 新潮社新書12年)

前回の『悩む力』に共振したのは、誰もが「青春」を悩んで過ごしたのだ、ということが、確信できたからだった。
「ぼくはハタチだった、それが人生で一番美しい時期だったとは、誰にもいわせまい」で始まる『アデン・アラビア』(ポール・ニザン)を知ったのも、そうした暗く、控えめな私の青春期だった。
とすれば、この二人の著者は、その後も共に悩み抜いていることになる。
姜さんはその後に続篇を、今年になって『心の力』を書いているのが、その証しである。
誰に向かっていうのか、「いい加減にしろ」と私は心中でいう。自分に、なのか、世の中に、なのかそういう心境になることがある。
大小を問わず、トラブルが発生し、いつまでも出口が見えないことがある。これを乗り切るには、悩みの在庫を見つけてきて、これを解決しようと決める。
そうすると、進行中のトラブルがいくらか軽くなるのだ。
これが終ってもまだ先がある、というのは人を呑気にさせてくれる。

さて、ベスト・セラーということで、本作も積んでおいた『間抜けの構造』を読んだ。
狙い通り本書は美学/倫理本である。他人の書いた本を、私のものである、というのは横暴の謗りを免れないが、そういう印象を残してくれる本がある。
自身の技術に関する体験を人前で幾度もくり返し語り鍛え上げられたフレーズが、綴られている。
美しさは、そういうプロセスを経て伝わるものだが、独自であっては伝わらない。
その重なり具合が<間>というものかも知れない。店の作業を伝える場合も(ボーッと)「見て」「自分でやってみて」「もう一回(くわしく)見る」という三段階をくり返すしかない。
ある時、出来上がったコーヒーが、自分でも美しい(飲みたい)と正直感じるようになるものである。
最終章に至る勢いが実に分る。
本書は、そういう文脈で物語であるより“事”語りだと思った。

雪です。
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by ihatobo | 2014-02-08 01:04 | 本の紹介