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抗議

8月に取材を受けた雑誌が発刊されました。
しかし、お客(読者)様が店を撰ぶための情報が、何ひとつ掲載されていませんでした。
短い紹介文の中に店主の名が4回!登場します。私たちの店は各々、自らの価値観を持った合計8名で運営されています。「私」の店ではありません。
未だ見ぬお客(読者)様へ、「私」ではなく、メニューはもちろん店の装置や音楽、本などをじっくりと味わって下さい。
私たちの店は、当該記事の無能さ、無責任に抗議します。
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by ihatobo | 2013-09-27 23:34 | ニューズ

『二匹』鹿島田真希

辿って来た文脈で、同等の暗黒/暗闇のサウンドか記録されているのが高柳昌行のライブ(78年)である。
この夜の新宿朝日生命ホールは、珍しくほぼ満席であった。
録音は先日「所さんの目が点」でも紹介されていたコジマ録音。文字通り「度が外れ」た演奏は宙に浮き、方向が失われていた。それが高熱量で発光している。奇妙な静けさがたち込めていた。

この大音響の静けさは本ブログで紹介した『決壊上・下』(平野)である。
プラットホームの佇む主人公は、確かにあそこで発光していた。
今回その暗黒/暗闇を求めて読んだのは『二匹』(鹿島田真希.河出文庫98→05年)だったが、私のアタマの情報量が過剰になり楽しめなかった。
"テレ"とか"ケチ"が渦巻いていて、もっと信じられる物語にすれば良かったのに、と思った。
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by ihatobo | 2013-09-19 23:12 | 本の紹介

サウンド・オブ・サイレンス

『沈黙入門』(小池龍之介)で、頭が回わり始め、私にストックされているコトバが、ずるずると意識的に上がって来た。
初めに想い出したのは、「サウンド・オブ・サイレンス」(サイモン&ガーファンクル)である。
国内盤で発売される場合、内容を表わしてはいるものの、掛け離れたコトバが使われてることが多いが、このシングルEPは、そのままカタカナ表記であった。
流石がに(超)訳しようがなかったのかも知れないが、歌詞の内容もシンプルな単語ばかりで、シングル・カットの主な購買層である中・高生でもいける、と判断されたのかも知れない。実際、そのまま日本語感覚で歌える歌詞である。
いま思えば「黒きより暗きに入りて、照る山の端」(源氏物語)という暗闇/暗黒の心性が、自然にこの歌詞を受け入れられたのだろう。少なくとも私には。
ボイジャーが36年かけて遂に太陽系を出て恒星間領域をさまよい始めたらしいが、その領域を出るのにあと4万年かかるという。
"実体の遅さ"を重要に考える私だが、その規模の時間の長さの下の"実体"とは、何と対応するのだろうか?
歌詞はハロー・ダークネス・マイ・オールド・フレンドと歌われるのだが・・・
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by ihatobo | 2013-09-14 21:48 | 本の紹介

『古事記』(こうの史代 1〜3巻 白水社 12年)

古典(神話)は、その時々によって、その時代の新しい解釈がなされ、「ホラ、ここに書いてあるだろう(そういう意味なんだ)」という役割を持って残っている。
今回お客様から借りたのは、ナント『古事記』である。
第一巻(天の巻)の帯には「日本最古の神話を絵で読み解く」とある、マンガ化(解釈)である。
『古事記』は、岩波文庫を斜め読み数回、『私釈 古事記』(石川淳)は完読したもののポイントを掴むには至らず、他、医院の待合室の絵本を何回か眺めた程度である。
つまり、関心は長くあるが後回しになっていう物語といえる。

"神話"というコトバも威圧感をもってビビルが、『神話作用(Mythologies)』(ロラン・バルト)では「神話的体系は歴史的基礎しか持ち得ない事物の<性質>から出現することはない」とされる。
「神話とはことば」であると。
省略しすぎだが、あるいはコトバなり文なり、現在に残されている、ということなのだと私は考えている。建築物や遺跡と同じで、その読解、解釈に人はいつの時も関心がある。
マンガ化(解釈)で「創生(世)」といえば、私には『サバンナ』(白土三平 小学館)である。
メインに性愛(産)が置かれ、弱肉強食の原則(進化)に始まり変態(身)、動植物との経済、動き、重さ、土(地)、光/闇、水、火に至る、自然までが語られる。
合点のゆくところもあり、見当もつかない記述や、濃淡が入り組んだ(歴史)社会(首長制度)のことかと思われるところもある。
あるいは行の進む先で、自律的にボリューム増していたりして「手に負えない」。

本書こうの本では、そうした内容のドキツさが単たんと描かれていて、特徴的な場面では、現代風のマンガにもなる。しかし、何よりもクリアな筆致が、その「手に負えな」さを逆に浮き彫りにしていて、意味あるものにしている。

『ノア・ノア』で書き残したのは、そうした実体(本質)に関して、ラフォンテーヌの『蟻と蝉』を引き合いに出しているところがあり、これは労働と遊びの文脈でいわれる「アリとキリギリス」のことであり、絵本に出てくるキリギリスは、カマキリのような虫がバイオリンを弾いていたが、何語訳か忘れてしまったが、仏語のイミは蝉だそうである。
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by ihatobo | 2013-09-08 21:47 | 本の紹介

『すばる』(9月号)“東京の灯/トーキョーの闇”

私は、雑誌を殆ど買わない。電車よ中吊り広告を眺める程度である。新聞は比較すればよく読むが、一紙のみ、それも文芸欄があくまでも中心で、他面は中吊り同様見出しを見ておくという程度である。
今回は月間の文芸時評で知り、前野健太、岡田利規、入江悠、を見当てに読んだ。
テーマは”東京の灯/トーキョーの闇”である。三人は各々表現者であるが、その手法も各々で、その発表の場(劇場、ライブハウス…)も様々である、それでも中心的なメッセージは共有されていた。つまり、東京という都市が、実は情報が集まっている場所、というよりも、現今の「情報社会」そのものであり、場所(実体)でさえなくなっている、ということが私には合点がいった。
高校生の娘が、「私は誉られて伸びるタイプです」という手描き文字のプリントTシャツで、この夏を通していたが、こういうメディアの使い方がいいと思っていたからだ。
6/13日の回で紹介した前野のコトバ「この時代が何か、分かっていたら、歌は答合わせになってしまう」である。
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by ihatobo | 2013-09-07 23:39 | 本の紹介