<   2013年 04月 ( 2 )   > この月の画像一覧

『脳のなかの幽霊』その2

 本書にも引用されているように、フロイトの用語である「作話」や「抑圧」は人間の「本質」的な意識現象を説明するのに便利であると同時に、前に触れていたように小説・物語の創作に根拠を与える概念である。その事情は『世にも美しい数学入門』(05年)『物語の役割』(07年)に詳しく語られている。
 非常に受け入れがたい困難な現実にぶつかった時、人間はほとんど無意識のうちに自分の心の形に合うようにその現実をいろいろ変形させ、どうにかしてその現実を受け入れようとする。もうそこでひとつの物語を作っている。(『物語の役割』)
 どうやら小説や物語はこうした事情によって創作され、あるいは作家自身も読者として数多くの文芸作品を読んでいるようである。しかも、そうした大事にかかわらず私たちは日常の中でもコトバに詰まり思わず嘘をついたり、隠し事をしたり(作話、抑圧)するものである。
 本ブログでも度々触れている「知っている(l see)」と「わかっている(l know)」の違いである。
 最近といっても少し以前だが会話の中で「イミわかんない」というフレーズが盛んに使われていたが、嘘や隠し事を持って会話に臨んだ場合、相手は「イミわかんない」とは返さないだろう。せいぜい沈黙か「怪しい」といって目を伏せる。
 つまり、ひと頃の「ダダモレ」も含めて会話するからには嘘や隠し事をしない、というのが価値であったような気がするのだ。
しかし、コトバに詰まり嘘をついたりする方がエレガントだと私は思う。
「真実」を包み隠さず話す私(俺)は正直だ、という態度は、さもしい、ケチ臭いと私は思う。
言い尽せないことや微細で筋を通しきれない場面に直面したとしても、少なくともその場面を共有したのだから、再び会話が持たれるのが自然である。そのために嘘や作話を使うのを<方便>というのではなかっただろうか。
ただ人生において嘘が花を咲かせることがある。しかし、その花は実を結ばない(スペインの諺)ということを忘れてはならない。
のんびりやり過ごすのが一番いい。
あるいはそうした複雑な事情の地区位置を部分的ではあるが、実証的に記述している"科学"本である。心身座学(心療内科)序論?とも読める。
関連本『リハビリテーション 身体論』(宮本省三 青士社 10年)
[PR]

by ihatobo | 2013-04-27 10:56

『脳のなかの幽霊』(V.S.ラマチャンドラン 角川文庫 09→2011年)

 『名作のなかの病』(岩波明 新潮社)は、近代以後の文芸作品にうかがえる、
精神疾患の症例を選び出して、その名作の奥行きと、作者の資質を概観している。
切り口の変った文芸評論ともいえる。
最近のように精神疾患に関する情報が整理されていなかた一昔前には、
作品に出てくるそれらの奇怪な情景や物語が作家の「才能」とされ、
読んでみた私を怯えさせた。
しかし、作品に織り込まれている事柄が、作家の私的な事情や、
実際の体験が反映されているのは当然だとしても、世の中に心理学的な所見や
その施設が出来始める20~30年代になると、そうした症例を介して、
人間の暗部(→本質)を探るそれらの作品が人々に受け入れたのも事実である。
その意味では、本書は社会・歴史書ともいえるかも知れない。
本ブログの初回(07年)で紹介した『博士の愛した数式』(小川洋子 03年)では、
記銘力障害といわれる”短期記憶”しか持ち合せない博士を主人公に
仕立て上げられた作品。
こうした方法は現在でも有効で、数々の作品に用いられている。
この作品は、奥行きに男女の関係の進展の違いが書き込まれており、
記銘力の「ない」男性と女性とのゆき違いが大変さわやかに記述されている。

さて、今回はそうした症状を作り出す、脳(神経)に関する脳科学本である。
発刊時には見逃した本書を知る契期になったのは、当店のスタッフが、
“マジック・パーラー”で体験した”神秘”を、たまたま横で聞いていた
当店の「文芸部員」が教えてくれたことによっている。(しかしアマゾンは本の配送が早い)
その現象で見たスプン曲げや予知が、果して錯視、錯覚なのか、
それ(超常現象)を見た者(観察者)だけのものなのか、「物質とエネルギー」の
基本的な物理法則から逸脱したものなのか、そうした事柄が
本書には誠実に報告されている。(仮説→実験→追試)解説の養老孟司が記すように、
それが事実かどうかを廻る議論、つまり主観と客観を対で考える形式自体にも
言及されている。
それでも、手許にあるこの本は実在している・・・。
(関連本:『リハビリテーション身体論』 宮本省三 青土社 2010年)
[PR]

by ihatobo | 2013-04-20 16:31 | 本の紹介