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決壊/平野啓一郎(08→11年 新潮文庫)

 パソコンの操作に関して他人任せであることは度々触れたが、その先にある"ネット社会"についても他のメディア経由でしか私は知らない。
 つまり、その当事者であったことがなく、その"ネット社会"の"闇"といわれてもピンとこなかった。
 本書についても、その理由で敬遠していたのだが、大変興味深く読んだ。読後に長く寂寥感に襲われたにしても。

 "ネット社会"をネガティブに捉えるから"闇"というコトバがそこに引っ張り出されるのだろうが、私はそこにあるらしいコトバを"ハダカ"のコトバだと考えているので、つまり、実際には意味を持たないと考えている。
しかし、その量がいつしか質に転換することはあるだろう、という予感というのか、予測はあった。
その予測が、この物語で、展開されている。
たとえば凄惨な暴力の場面・描写では、本来は「共感」できる筈のない痛さが読む者に共有される。
それが作者の筆力なのか、彼の能力に依っているのかは明らかだろうが、痛い。目を覆いたくなる程に凄惨である。

 こうした質に転化した量を持つコトバは、あるいは作中の人物の体験を徐々に育ててゆき、彼が「自分の」記憶を辿るまでにリアリティを獲得している。

 それらの身体感覚や記憶は本来、眠っている夢のように決して他者とは共有できない。

 ひるがえって、それらの共有できる筈のない感覚や記憶が、いわゆる投稿サイトには溢れている(らしい)。
解説の山城むつみがいうように、読むものがそのうちのある文にヒットした時、その文は無気味だろう。自分に覚えのない事柄で、自分が非難されている、という感情が起こる。しかし、その感情は世界のどこにも位置を持たない。

 そうした単独/専有の淵にあって「悪魔の唯一の美徳はフェアネスだ」と綴られてゆくこの物語の展開は美しい。

 末尾の「哲学問答」や遺品のみすぼらしさも、破綻のエピローグにふさわしかった。

 丁度読み終わった『記憶の人、フネス』(J.L.ボルヘス)にある「フネスのいわばすし詰めの世界には、およそ直裁的な細部しか存在しなかった」とも共振していた。悲しい。
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by ihatobo | 2012-12-19 16:48 | 本の紹介

『TOKYOブック・カフェ紀行』玄光社

 "ブック・カフェ"の名称がささやかれ始めたのは20年ちょっと以前だったが、最近は古書・古本に対する人々の需要とともにこの名称は一般化している。
 しかしカフェの前、"カフェ/バー"があり、旧来の喫茶店とは区別して単に"コーヒー屋"という名称もあった...と遡れば喫茶店にも純喫茶やジャズ喫茶もあるといったようにバリエーションが....。
で、その30年以前の喫茶店にはどこにも閲覧用の本棚が備えられていて、マンガの他、美術書や料理、喫茶、製菓の実用書と並んで、その店の得意なジャンルのガイドブック、が置かれていた。
 だから最近の"ブック・カフェ"は、古書を始めとする小説、文芸一般を扱う喫茶店、といえるかも知れない。
 加えて、そのために図書室の役割を持ったり、逆に書店がベンチや喫茶コーナーを併設するようになったため、この名称が自然に使われるようになったのだと思う。人々の文(本)に対する関心が高まっているのかも知れない。

 さて、本書はその"ブック・カフェ"のガイドブックである。スタッフ各人に尋ねると、半数以上の店に各々が訪ねたことがある、という。
 私自身も著者のトーク・イベントを目当てに一軒だけだが知っていた。

 という訳で、本書の一角にページをいただいた当店の責任者としては、「ちょっとマブシイ」のであった。
 私自身も本を造る身でありながら、どの本に対してもマブシイ思いをしていて、ていねいな取材文もオシャレで、気恥ずかしい思いをした。
 本書を当店で売ることを検討中です。
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by ihatobo | 2012-12-06 01:25 | 本の紹介