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『マリワナ青春旅行』(麻枝光一 幻冬舎 アウトロー文庫)

 著者の前田さん(麻枝はペンネーム)と最近知り合い、著作があるということで本作を読んだ。
 タイトルとその内容(旅行記)とも危険なので、書店で見かけても手に取らなかった本である。
 たとえば私は音楽や喫茶店に興味も関心もあるので、その類を見ればページを開いて眺める。しかし、興味も関心もあるが、それを見ずに敬遠してやり過ごしてしまうこともある。つまり、類書の中から良書を見つけるのに手間と暇がかかるから。
 しかし、この本は「いい本」である。
旅行も苦手でその行く先々の事柄を記した本も縁遠い。だがその距離感があったのが幸いしたのか、上下巻を流れるように読んだ。
 いわゆるドラッグ類には無知でその分類や薬効に関してはスルーしたが、マリワナの正確なデータと、その愛好家である前田さんの人柄を、行き来して眺めても、本書のドラッグに関する記述は充分にリアリティがあり、説得的である。
 それが「いい本」である所以で、91年発行、97年文庫化で現在15刷という実績にも納得できる。
 意図が先行して意味が余りない本が、威しをかけてくる最近の出版状況の下に、本書は貴重だと思った。
 ひところ「イミ分んなーい」と若者に躱されていた上司たちが、それに対して自分の出す指示に付け加えて、近頃は(今言ったことの)「イミ分ってんのか」と威しをかけるという。
 本書のように穏やかだが力のある指示ならば、老若男女を問わず“伝わる”と思った。
 上下巻とも当店で売っています。
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by ihatobo | 2012-04-29 17:10

『生きるとは、自分の物語をつくること』

 当店の自主本シリーズの一冊目『秘密の喫茶店(熊野宏昭×今沢裕 1987)は、開店当初、経験的な知識と職能を持って店を始めたのはいいとしても、私は店をどう考えているのかを案内するコトバを持っていなかった。そこで心療内科医である熊野宏昭に、場所、コミュニケーションについてインタビューするカタチで企画された。
 熊野は場所(箱庭)、患者との面接についてたくさんの経験的知識(職能)とコトバを持っていた。
 その熊野に紹介されたのが河合隼雄と中村雄二郎の対談本『トポスの知』(TBSブリタニカ 1984)である。熊野は「この箱庭の空間とイーハの空間に高い類似性を見い出している」と前記自主本の補注で述べる。
 それ以前に児童文学、コミクスに興味を持っていた私は河合の『昔話の深層』などを読むには読んでいた。
 私が河合から受け取っていたコトバは、多すぎて一言にはならないが、自主本で述べられているように、箱庭によるカウンセラーの役割、つまり、「解釈しないで鑑賞して下さい」という発言が、本書でも述べられる。
 店の日常で日々戒めのコトバとして私はこのことを念頭においている。この店は日々9割方が見知らぬお客様で占められている。英語の意味でリピーターがいることは私も知っているが、いわゆる“常連”という日本語に該当する方はいない。店側とお客様で交わす会話が極端に少なく短い。
 「来られた人が自分の物語を発見し、自分の物語を生きていけるような<場>を提供している」と河合はいうが、一点の曇りもなくこれは私のコトバである。
(偶然を)起こしてくれる<場>/黙っていられるかどうか/自分の知っている範囲で全力を尽くす/いいとこ取り/(秘密を)すぐ忘れます(黙秘義務)等も語られる。
 そして、河合さんがこの対談シリーズの途中で亡くなられた為に、小川さんが「少し長いあとがき」を書いている。
 彼女はいう、(河合さんのように)私は物語に奉仕する者だ。と。
 それも「すべて滞りなく一続きにつながる」ように私に届いた。彼らのコトバは私の仕事場と、それを展開している私たちに勇気や希望を与えてくれる。
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by ihatobo | 2012-04-15 09:20

『プレイボーイ』

『最終定理』(A・C・クラーク、08→10年、早川書房)は
結局後味の悪い物語だった。
作者のメッセージは明確で、人類(文明)に対する警告とも希望とも
解釈できるものだったのだが…。
 物語の ”数学” 部分を省略して読んだが、数学が簡潔で美しいものを記述する
科学だとすれば、それが物語を進めてゆく力になっているのは読み取れた。
 物語はこみ入っているものの簡潔で、面白く一気に読めた。が、やはり(ほの)暗い。

 今回は、『プレイ・ボーイ』がインタビューした見田宗介を紹介したい。
(ほの)明るいし。
 新発売されてはすぐに消え去る商品を見れば分かり易いのだが、
現状分析(認識)を問われて彼はいう。次々にキャッチーなコトバで
宣伝(情報)され、目新しい商品に対する欲望が開発される。
しかし、その”欲望”社会は「08年までに限界に達した」
彼はそれを「フィクショナル」と呼び、以降人々は「リアリティへの飢え」
を感じている.とする。
 リアリティへと至る方向は「アート、愛、友情」であり、「非常に贅沢な欲望で
ありながら資源を大量消費しないし環境も破壊しない」と続ける。
 これも明確な提言である。
彼は生物学の知見によってエネルギー消費の観点から、人類(環境)が種の
発生から成長・繁茂期を経て「安定平衡期」に到達している、とする。
つまり、「最速」や「成長」や「進歩」へ方向するものではなく、
「リアル」の場面に隠れている「見えない豊かさ」を探求すべきだ.という。
 豊かな世界では「進歩」や「発展」に追い立てられない。天国や極楽(笑)で、
しかし.それは死後を指すのではなく、「実は本当に人間が心の底から
ずっと求めてきた世界」で それを現在に実現しよう.という。
 そういえば『最終定理』の物語部分が指示しているビジョンが、この
”不死”の実現と絶望であったのは、豊かさとは真逆であるといえそうである。
 という訳で次回はビジョン(視覚)ではなく、感覚(体性感覚)を求めて
『ことばの食卓』(武田百合子. 84→91年 ちくま文庫)を読んでみよう。
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by ihatobo | 2012-04-02 00:56 | 本の紹介