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ツグミ

今年の冬は厳しい寒さが続いた。続いた、というより厳寒が固まって
しまって 動かなかった という方が正確だった。
しかし、2~3日前にその厳寒が動き、昼過ぎにほんの少し寒さが緩んだ。
去年もその様子を書き損ねたが、自宅前のアパート、南西向きの窓の戸袋に、
毎年ツグミが巣を造る。その昼下がり 今年最初のツグミの騒ぎが始った。
 雨の降り始めだったか上がり際だったか、その鋭い鳴き声の合唱が始った。
 そのアパートの南側にはかつて小さな雑木林があり、楠か樫かに
百羽を超えるツグミが住んでいた。
寒くなる頃の夕方は彼らの合唱は辺りを圧倒し、道端ではたまたま居合せた
隣人と、大声を張らなければ挨拶もできない程であった。
いま雑木林は造成され10件程の建売りが並んでいる。

だが、その戸袋への鳥の出入り2~3年前に その戸袋へツグミが出入り
するのに気づき、昨年は彼らが古巣に戻ってきたのだ、と思った。
記録していたわけではないので確かなことではないが これから
2カ月余り経った頃に、数羽のヒナの巣立ちが見られると思うと、
少し気持が晴れる。
大震災から一年が経ち、その翌日の半端な時刻にTVを観ると
何もない道端をレポーターが何かを紹介していた。
この一年、一分以上画面を見れなかったが、この時は意外に素直に
なった。家人のいない午前中のできごとだった。

『ベドロス伯父の「ゴールド・バッハ問題」』のあと調子に乗って
『最終定理』(アーサー・C・クラーク、早川書房2010年)を読んでいる。
次回にまた。
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by ihatobo | 2012-03-21 12:29 | ある日

『ペトロス伯父と「ゴールドバッハの予想」』(早川書房 01年)

作者であるアポストロス・ドキアデスは 15才で米コロンビア大で数学を学び、
小説、映画、芝居、翻訳を紛す才人で1953年オーストラリア生れ。
本書はよくある偉大な科学者の伝記、評伝ともいえるが、魅惑される数学の
難問を解こうとする冒険物語りでもあり、その難問の解がとてつもなく美しい筈だ、
という美の探究譚でもある。
 前に 『世にも美しい数学入門』に出て来たのが 本書のタイトルである
「ゴールドバッハの予想」だ。
 藤原は美しさ(秩序→法則、定理)が ある筈だという「直感」や意志が大切だ。
というが、それはいわば前人未踏であり、そこへ至る作業には何の支援も
保障もない。危険。
 論理的に矛盾がでないように各段階を固めてゆけば、必ず解に到達する、
というのが数学である筈なのに、前提が次々と崩壊してしまう問題があるらしい。
 しかし、そうした問題は多種多様に刻々と状況が移ってゆく現場では
日常茶飯事である。しかし、それも楽しい。
小川はその魅惑を「悪魔的」と表現していたが、もうひとりフランソワーズ・
サガンもそのことを言っている。
 56年、渡米したサガンの目的はビリー・ホリディのステージを観ること
だったという。その時レディはNYにおらずコネティカットで公演中なのを知ると、
彼女はそこまで追いかける。300kmをタクシーで。
 このことを知ったのは彼女の自伝『私自身のための優しい回想』
(1984→86年 新潮社)を読んだ時だ。
 冒頭の「ビリー・ホリディ」は、その”追っかけ”の回想だが、見事な批評文である。
当時私は新聞の紹介文で本書を知り、冒頭を読み、更に『悲しみよこんにちは』
を買いこれも読んだ。
本ブログがスタッフの助けを受けて始まった時に、それを再読し、驚いたのだった。
続く第二章が「賭博」である。これは更に衝撃で、丁度論理学(数学)の解説書を
読んでいたので、こういう風に論理学を読めばいいのだと認識させられた。
 この関連本では『賭博の哲学』(河出書房新社 08年)が良い。
ドストエフスキーの『賭博者』についても見事な批評になっているし。
精神医学ではこの賭博に依存してしまう心の傾向を「衝動制御障害」という。
しかし、サガンはいう「何故か安全な側へ着地できる」そして「賭博はたんに無分別
―そして当人の精神の中にある忌わしい致命的な悪徳の存在―を必須条件とするだけ
ではなく、それはまた冷静さや意志、そして、ヴィルチュというラテン語の意味、
つまり勇気、をも必要とするのだ」と。(悪徳の発音はヴェルチュ。フランス人の
エッセーによく出てくる、発音による シャレ、ダブル・ミーニング)
「徳」は修練して得た品性のことをいうが、褒められない場合それを悪徳という。
悪徳にしてもある種の修練、積み重ねが必須条件で、よく映画などで目撃する
”悪役”の凄み、背景を背負ったワル、といった文脈を伝えるために「勇気」を
ここでサガンは引っ掛けたのだろう。
 ちなみに彼方かなレディデーを偲ぶのに最適なのが マデリン・ペルー
「ハーフ・ザ・パーフェクト・ワールド」(ラウンダー 06年) 以前にも触れた
「黄水仙/マリア」(エピック・ソニー 03年) ニコラス・レパック
「スイング・スイング」(ユニバーサル 04年)があるが、古る過ぎて紹介する
機会がなかった94年のワイルド・コロニアルズ(ゲフィン)の「人生の果実」では
ビゼー に導かれて「ドント・エクスプレイン」が美しく歌われる。良い。
この盤は当時30枚程を店で売った。人気盤でもある。
 ビリー・ホリディという美しいアイコンを念頭に本文を書いてゆくと、
ドキアデスもビリーを知っている筈だという「証明できない」「予想」が頭を掠める。
 本書にも登場するポアン・カレは「俺が分かっていれば証明なんて
できなくたっていいんだ」(「科学と方法」)といってるし。
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by ihatobo | 2012-03-13 12:12 | 本の紹介

『世にも美しい数学入門』 (藤原正彦/小川洋子.ちくまプリマー 05年)

小説嫌い、本嫌いの、私がこのブログを始めたのも
小川洋子の『博士の愛した数式』(04年)を読んだからだった。
 非常に美しく、簡潔で、翌年の本書、07年の『物語の役割』
も同様の読後感を持った。
 一方 藤原に関しては 87年初出の『父の旅、私の旅』(新潮社→文庫 93年)に
収められた表題作のキーワードである「サウダーデ」に注目して、7~8冊の著作が
文庫化されたのを機に 全てを読んでいた。(文庫版は『数学者の休憩時間』、
彼のベストセラーである『国家の品格』は未読)
というのも私が編集作業に加わった『キース・ジャレット 自伝』
(立東社 89年→太田出版 改定版)のキース自身の意向によるタイトルが、
フェロシアス・ロンギングであったからだ。
 フェロシアスは 獰猛 の意味で、ロンギングは欲、欲望、欲動
などの意味である。 そして、このタイトルの意味は一言でいうにいわれない
ニュアンスを持っている。キース自身は「魚が水面から飛び出てしまった時に
ピチピチはねる、その様子」にたとえていたが、
そうした言葉ではいいようのない 本来の状態に戻ろうとする(参入する)
欲求のことをいう。
 そして、それ以前に知っていた ポルトガル語である サウダーデ の英語が
ここで話題にしている ロンギングなのだ。
 「サウダーデ」はポルトガル語圏であるブラジルのポップスに頻出する
コトバで、普通は「郷愁」、つまりノスタルジーのように日本では
訳されることが多いが、本来的には 時間や空間の区別をしない
「遠くにあって恋しい」の意味だという。つまり 「運命」や「命」を
指している。共に個人では何とも手の出しようのない、時刻の堆積
のようなものを指し示している。
 藤原は亡き父が残した取材ノートを抱え 父が小説のために
取材に訪れたポルトガルの街々を訪れる。
決して「追慕」や「憧れにも似た「郷愁」ではなく、
父が見つめた時刻の堆積を見ようとする、いわば”喪の仕事”であり、
「命」の生死を見極めようとする それは 旅行記である。
 今回ある機会があって『世にも美しい数学入門』を読み返したが、
小川と藤原の作品(行為)には かなり 危険な ”美しさ” に対する
欲求があることを再確認できた。
 依然としてナゾ(秘密)は多いのだ。
 今回は他に、『あ・うん』(向田邦子)と こちらはちょっとだけ
『ペトロス伯父と「ゴールドバッハの予想」』
(アポストロス・ドキアディス、酒井武志訳、早川書房 01年)を開いてみた。
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by ihatobo | 2012-03-11 02:30 | 本の紹介