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祝開店33年

 この秋で店は33年になる。
 そこで当店の“通信”He+Me=2(ヒー・アン・ミー・イズ・ツーと読む)の次号特集は、「耳」あるいは厄年33才、ミミ♪など、思いつくテーマでエッセーを、と依頼した。(たぶん10月中にはでき上がるだろう。もしこのブログ読者で思い当たる方がいたらhe.me.two@gmail.comまで原稿下さい。800字~1200字程度、9/20締切)
 さて「耳」は系統発生の魚段階ではエラ、呼吸器起源で、私たちの耳はあの尾まで伸びる「側線」に相当する。つまり外環境の速さ、方向を感覚するそれは器官である。
 そして、それはとりも直さず「時刻」を認知する器官でもある。そう考えると音と「耳」の関係に不思議なニュアンスが付け加わる。
 水中に浮いて眠っている魚を想像して欲しい。その時、魚の「時刻」は止まっている。あのイメージは「時刻」の静止なのだ。

 20世紀の美術作品に対する国際的な批評家投票で最も価値/意味ある作品に選ばれたのがマルセル・デュシャンの『便器』(1917年)だが、彼の有名なフレーズに「川のせせらぎを眺めている人を見ること(事実)はできるが、せせらぎの音を聴いている人を聴くことはできない」がある。下の句はそれが「事実」であるかどうか証明することができない、という文脈なのだが、彼はそこで「時刻」のことを考えていたに違いない。

 今月11日に武蔵野公会堂で「ありがとう&さようなら、吉祥寺」と銘打ったコンサートを打つ前野健太のうたに「100年後」がある。
 第一作『ロマンスカー』(2007年)に収録されているが、映画『ライブ・テープ』でもうたわれる。「百年後、キミと待ち合わせ」がリフレインされる。意味不明の和声(進行)を持つ曲だが、これ程見事に「時刻」を扱う詞を私は知らない。
 前野は私たちの店にほぼ10年程通っているというが、彼の佇まいは丁度あの「静止した時刻」の魚に似ている。いつも小一時間の間、窓外を眺めている彼の「時刻」は止まっている。私たちはそれを眺めている。
 デュシャンにならえば窓外を眺めてはいるにしろ果たして彼は音を聴いているのだろうか。今度尋ねてみたいものだ。
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by ihatobo | 2010-09-12 19:54 | ある日

耳のフシギ

 私は「耳がいい」とよく人に言われる。“親バカ”も含めてピアノを習っていてもよく言われる。だが私はあまり実感したことがない。
 初めて聴く曲で「あっ、これいい」と一回聴いてすぐ気に入るCDもあれば、最初は「えーっ」って思っていても何回も聴いているうちに、いつのまにか自分の心の中にインプットされている、というような事があるからだ。
 CDで聴いた曲がTVで流れてたり、その逆もある。ほんの2~3秒の事でもすぐ分かる。
 それから、身近にいる人の声が偶然流れていたCDのvocalの人に似てたりする。私の知り合いがバンドをやっていて、そのvocalの声がSlalom Dame(06年)を出したジャンヌ・バリバールという人の声に似ていることが最近あった。この時はその知り合いの娘さんとCDを聴いていて「あっ、お母さん」といったという話を聞いた。
 もしかしたら私は本当に「耳がいい」のかも知れない。
                                          (木花香子)

 上記アルバムは仏ナイーブ制作。国内はP-VINE(PCD 17378)。
 ポルトガル、仏の映画「何も変えてはならない」(監督、ペドロ・コスタ、09年)に出演している、歌手・女優のジャンヌ・バリベールの第一作で‘06に制作。
 今年になって4年振りの第二作も準備しているという。前記映画はそのリハーサルや録音、彼女の日常を撮影したドキュメンタリー。
 映画を見逃したが、観てきた友人の好意でCDを借りて店で流している。とても良い。
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by ihatobo | 2010-09-11 13:49 | ある日