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「UMA BATIDA DIFERENTE」 / BOSSA CUCANOVA

夏のある日、窓外を歩いてゆく人々を眺めている。部屋の壊れかけた空調がカタカタと鳴ってあえいでいる。そうした時計の時間から外へでてしまうような場合に、私がいま眺めている視界にも時間がなくなる。実際に窓外をゆきかう人々は事実移動しているからそこには時刻が流れている筈だが、私はその外へ出てしまっている。先人がいうように「画面で考えている」という状態である。

彼はベルギーの画家だから、そのように表現するのだが、私の場合は「音で考えている」状態なのだと思う。私はだから非在を生きている、と表記せざるを得ない。生きているといっても窓外をゆきかう人々の時間の外にいるという意味だ。だから非在が身体を透明にしてゆくのではなく、何物かによって彫刻された身体、単なる個体がそこで音を聴いているという状態である。

というのも考える(想う)と自分がそこに居る(在る)とは実は並存しているわけで、我想う、故に我在りとは実際(窓外をゆきかう人々)の時間へ戻した場合の物言いであって、事実はそれらは接続されていない。つまり、私たちひとりひとりは、いまそこで「画面で考える」ことができる。

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by ihatobo | 2008-09-29 11:58 | CDの紹介

手に負えない本 #5

しかし、こうして概略を知らされている個人の所蔵した本を見ていると、その本人の人生というか“青春”の心意気を感じると同時に、その“青春”の行き先に興味が湧いてくる。

古本の取り扱い、新刊のセレクトなどの日常をこなしていると、殊にこうした興味が湧く。気に入った新刊の著者に会ってみたくなる場合もあるし、それが高じて色々と調べた挙句にインタヴューを申し込む場合もある。

今回の私の興味は、その個人が私よりひと世代上の年代であり、彼らの言説が私の“青春”のコトバを支配していたことになるから、私自身のコトバや記憶の在庫とこの本たちが共鳴を起こす。それで、それをズルズルと読んでいるのかも知れない。もちろん、そのひと世代上の“青春”も更にひと世代上の言説に支配されていたわけだから、前回のような永井荷風もここに名前が挙がることになる。

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by ihatobo | 2008-09-08 18:17 | 本の紹介