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ニューヨーク・シティ・ストーリィ/ピート・ハミル CBSソニー30AP3200 86年

 本書は、ソニーの企画・政策で著者が選んだ音源がコンパイルされているアナログ版をいわばパッケージ替わりにした短編小説集で、“新保守主義”の世相を憂う彼への役者によるインタビューも併録されている。
 38年生れの作家はこの時期の世界を性格に把握していて、記述は端折っていえば土地(地域・場所)にわだかまっている記憶を素材にして、登場人物を設定し、語らせるのを基本的な枠組みにしている。
 しかし、作家の土地はニューヨークである。作家自身もアイルランド系の移民第二世代であるのだが、その街の多民族性がつむぎ出す「エネルギー、選択権、何も固定されていないこと、危険」を彼は生きている。47年生れのポール・オースターにも同様の枠組みを持った作品があるが、彼らがかかえているのは「もう民族に新しいスタイルはない」という文学状況である。(→映画『スモーク』の項参照)つまり、近代をどう越えるのか、あるいはそれに分け入って“脱構築”する方途はあるのか、という課題を彼らはかかえている。それは一方で“郷愁”の捏造へと作家を追い込む。
 しかし、“郷愁”はその人の足下、いま現在を生きる全ての人のいわば根拠であることは既に述べた。
 巻頭はより分り易くするために原題を記すと、on NewYork jazz/musicである。ジャズとミュージックがスラッシュされているのは私の店の入口に貼られた小さな紙に書かれている。(訳では「ニューヨーク・ジャズと私の青春」…)小文字のjazz/musicを消去法で探れば、そのまま音である。時刻の経過を内包した存在である音。そこに確かに存在するが手に取って指し示しせないものそれがjazz/musicへ私がこめた考えである。しかし、ここで彼は全く同じことを主張している。私は嬉しい。
 冒頭の4段落でジャズの成分の約半分が語られる。
 そして、すぐに「人間の中身というのは、安っぽいものと崇高なものとが半々に混ざりあっているものだと」という。
 ここで読者は摑まる。「崇高」は日常語でいう抽象的なもののことである。どちらかといえば美学用語といってもいいが、美学自体が虚位う力な抽象であり、その抽象が現出するには倫理や愛といった草々さがまとわりついてくる。そうしたコトバを持った読者は「ホーどれどれ」といった感じで立ち読みを始めるわけだ。
 そこでこの転業作家は、ジャズ/ミュージックを色彩る固有名詞を駆使してニューヨーク“物語”、つまり「地政学」の方法に辿りついて、この“物語”切り上げる。
 「目に見えない街ーニューヨーク」を綴り、「にっこりと威厳に充ちた微笑み」を想い出し、それらが「決してちっぽけな思い出ではないのだ」と断言する。
 目に見えない虚構を活字として作り上げたことに、作家は満足気である。

by ihatobo | 2009-12-23 10:22 | 本の紹介