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手に負えない本 #3

とある煙草屋を舞台にくり拡げられる深いといえば怖ろしい程の深さを持ち、軽いといえば「よくあるじゃん」というその本人にとってみれば深刻な思い込みを扱った『スモーク』(ポール・オースター原作)を観た。

当店は「煙草はすえますか?」と入店するお客様には「もちろん」と応えるようにしている。科学的に実証された事実を理由に最近は「先進諸国」に広く嫌煙の心情が広がっているから、そうしたやり取りが時に発生する。



それらの国々では一箱千円前後で煙草が販売されており、禁煙率は急上昇中である。その背景にそうした説明可能な事実を共有すべきだという“主張”がある。

しかし、それは事実の解釈による“主張”であり、その事実を知ればそれぞれの個人に任せればいい事柄でもある。そうした科学の事実は説明可能(明証性)であるためにそれを共有し、更にそれから逸脱者を出さないために制度化するというのは自然の成りゆきである。しかし、この嗜好に関する事柄は衣、食、住に渡ってそれぞれの“個人”の自由に属するから、基本的には衣服、食事、住宅調度に他者は介入することはできない。

私事(プライバシー)とは、他人とは共有できないその“個人”の具体的な時刻のことであり、それが近代ではその「先進諸国」の共通した認識としてあり、制度的に保障されてもいる。

つまり、そうした事柄では他人に迷惑がかからなければ、各人がその時刻を過ごすことができる。

この暑い最中に褞袍/丹前を着ようが――私の友人は長袖シャツにジャケットで一年を過ごす!レトロな部屋に住み蛇や虫を喰って暮らしても誰にも文句はいわれないのが制度的には保障されている。(書いてるだけで暑苦しくなってくる)

だから、他人に迷惑をかけたり、物を壊したりしなければそれらは“個人の自由”なのである。

よく「意志が弱い」とか(禁煙できない人は)「いろいろ言うよね」という非難が成り立っているようにみえるが、それは「煙いので止めて下さい」の婉曲ないい方であり、「迷惑なので止めて下さい」が正しいものいいである。

つまり、その制度のせめぎ合いには“常識”を持って対処すればいいのであって、私の店の場合でも、ここは他人と同席、滞在せざるを得ない場所だから、“個人”のわがままを手放しにすることはできない。しかし、同時に日常を抜け出して“私事”の時刻を過ごせる場所であるわけだから、その場面によって“常識”を働かせれば事は足りる。

私自身は禁煙の意志はない(笑)が、当然他人の煙りは嫌いである。だから、お子様連れのお客様がいらした場合や、店で食事を楽しんでいたり、灰皿が不要なお客様がいらっしゃれば、煙草をすうことはない。

『スモーク』から話はそれたが、この映画も他人に迷惑がかかり、物を壊してしまうのと同等の(偶然の)窃盗を扱っているが、それを“ブルックリン”の常識で話を締め、しかも苦い友情を表現していて「うまい」。

ただし、婉曲ないい方が“常識”であり、直截なものいいが“非常識”に換算される“ニッポン”の常識もあり、事は微妙であり、「手に負えない」のである。

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by ihatobo | 2008-07-25 06:53 | 本の紹介