『あるゴダール伝』

タイトルにひかれて43才の詩人が書いた小説を読んだ。それはいわゆる“青春群像劇”で、「それが若かったからとは誰にもいわせない」という、作者の作品へ向かう決意が充満していた。

誰しもその青春の“勢い”を懐かしみ、「昔のスピードはどんなだったか」という来し方を振り返る年頃があり、中国古代の教えでは、それが40才ということになる。



昨年の秋にこの店は30年の歴史を踏んだのだったが、その夏であったかあるいは年末であったかそのどちらかだと思うが、30年振りに店を訪れてくれたT君が、つい先日、娘を連れて再び来店した。

彼は開店当初の女性スタッフの恋人であった筈なのだが、「その頃には(既に)別れていた」と昨年知らされ、その経緯に登場した人物も私には記憶になかったり覚え間違いだったりしたのだった。「記憶はウソ」つきなのだ。

しかし、この『あるゴダール伝/松本圭二』(『すばる』2008年4月号)のように作品に仕立て上がっていると、私自身の“青春群像劇”も、記憶ちがいや失念は横に措き、自ら場面を集めて構成しようという意欲が湧き上がる。

その構成は自作の詩らしき文や小説の構想を間に挟み込み、その真実をよく知る自分が批評し、あるいは解体、改変してゆく方法で、ある種の詩論にもなっており、さらに現在の詩の役目の割り振りなども主張されている。

行の進行も勢いがあって、私にしてみれば葬り去るべき事柄が延々と述べられていて、ウンザリだったが楽しく読めた。二、三行を差し換えればと考えた箇所もあったが…苦味を残して物語は終った。

というよりも、作中の権田が20年の後に、あるいは主人公の詩集発行の前に、超メジャーな責任者になって現われなければ、本来この物語は成立しないのではないか、と余計なことも私は考えた。

ま、しかし、それがタイトルの意図かも知れないのだが。

松本圭二『あるゴダール伝』(『すばる』2008年4月号)

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by ihatobo | 2008-05-15 10:01 | 本の紹介