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汁器・備品の余白

この店は物耐ち(モノモチ)が良い。

ささいな事柄なので他の事例を知らないのだが、ラウンド、客席の照明、つまり、天井から下っている電球は、昨年まで4個の全てが開店以来一回も取り替えていなかった。30年間この電球は一度も切れずに輝やき続けたのである。昨年一般的な涙型というのだろうか、略称されるハダカ電球のクリア・タイプがまだ生産されているのを知ると、私はそれに替えようと思い立ち、その時に気づいたのだった。

近所の電設/電気店のご主人に尋ねたところ、「電圧のバランスがいいんだろうね」という。子供の頃から電球は切れるもの、という固定観念があったし、誰しもそう考えていると私は思うが、それも思い込みであるのが分かった。その正味29年間輝やき続いた電球は、捨てるに忍びなく、現在も店内に保管してある。



他に長く使っているのはメインのコーヒー・カップである。
当店の内装、調度は飛騨の工芸村によるものだが、当地の焼きの釜を彼らに紹介していただき、カップ底の形を私は気に入り、それを20脚購入した。客席数はカウンター席を含め18で、客単価計算からその個数を割り出し、10年くらい耐てば、ほぼ減価償却するだろうという算段であった。ところが、現在でも2脚の新品を残して日常5脚でまわしている。これも恐らく例のない数字だと推測している。

この他にもこの“モノモチ”に関しては膨大な種類の例があるが、それらよりも度を越しているのが、何よりもLP、CDなどの音源であろう。それらは自分の手元における資料にした後で、徐々に処分はしている。してはいるが、その作業を開始したのが店内にも掲示してあるように前世紀85年だから、この先いつになったら自分の納得のゆくカタチに収まるのかは我ながら心もとない。モノモチとは少しズレてしまったが、中学の時に買ったミート・ザ・ビートルズがまだあるので、押して知るべしというところだろう。

しかし、ここで書いておきたいのは、それらの電球やカップやLP、CDが、その固有性をいつ知れず捨て去り、いわば型式化?してくるということだ。量と質が転換される・・・。LP、CDを例にとれば説明し易いのだが、それはもちろん各々一枚一枚があるアーティストの作品であり、それより他ではないのは当たり前なのだが、それが、徐々にレコードされたもの一般に変質してくる。それは新しくたとえば菊地成孔の新譜を手に入れドキドキしながら鳴らしてみても、その作業の方へ重心が移っているのである。

『DUB SEXTET』を鳴らしている/聞いているのが気持ち良いのである。

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by ihatobo | 2007-12-26 17:07 | ある日