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『大津波のあと』(赤坂真理―『新潮』10月号 所収)その2


 さて、文は作者の深沢意識(無意識/記憶)が、多種化して浮かび上がって、連なったかのようである。
 主人公は、水の底(津波に吞まれた)にいるか、陽光溢れる地表にいるのか分からない。
 更に、そこに漂うエレキ・ギターのピックの片割れなのかも知れなく、しかも、そのギターを造った初代テレキャスター氏が今そのギターに乗り移っているのか、そして、日本中に度々出てくる英語、テレ(遠く)キャスター(発する者)の単なる洒落、二重意味なのか、どんどん事の成り行きは旋回(スパイラル)する。
 作中に直接的な解決は、もちろんない。まことに速いのである。
 速いから旋回するのか、片翼を失ったから旋回するのかも、不明である。
 たとえば、
 ――高い竹馬に乗った人、大道芸人。舞台、テキ屋、(・・・)風船、醤油。焦げる香ばしい匂い、ケバブ売り、道化たち、鳥たち、獣たち。のぼりにスローガンにシュプレヒコール。

 次のページは、“ 家だ ” に始まり、今や夜より黒く見える海に、家が浮いて~
 そして、それも覆され、やがて
 ――もとびとこぞりて(・・・)主は来ませり(・・・)
 という讃美歌になり、
 ――(・・・)念仏、読経、密教の題目、どこかのチャント(歌)、祈りの文句、詠唱。聖書からコーランまで。すぐ後に
――幾多のラジオは、まるで昆虫の群れ。他に、「金属的」「名前」「大きなハーモニー」「千渉波」「僕が割れて」「他者の体験」
 そして、「僕は、ふねだ。新しい海へ漕ぎ出す。」で、文は終わる。(つづかない)

by ihatobo | 2015-10-08 10:33