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『死刑台のエレベーター Ascensear pour Lechafaud MILES DAVIS』

 ずいぶん前に、この映画を見た頃のことを、本ブログに報告したが、もう一度見る機会が先日があったので、また報告します。
 映画は、こういう風に長い期間に渡って見れるので、そこが嬉しい。どの映画でも備えている、それ自体がメッセージになっている。
 サントラ盤も何度も繰り返して聞いてゆくと、細部にこの映画のすべてが詰まって聴き込める。
 主題は、ほぼ全曲で同じメロディを持っていてメロ・ラインが造るカタチは、少しづつ異なってはいるものの、カタチは26曲のすべてに維持されている。
 クレジット・タイトルも各々だが、メインテーマだけでも3バージョンあり、特にP・ミショレによって3つのバリエーションが楽しめる。23曲目の普通フォーバースといわれる掛け合いのセクションでも、相手が不在なのに、ミショレのベイス・ソロが53秒の間続くのだが、張り詰めたソロ・パフォーマンスとして聴ける。
 この映画の製作は1957年、本サントラ盤の録音は、この年の12月4,5日である。次回は、「危険を冒さなきゃ、この抽象的な平穏を危険に察して」と呟くインテリ青年が活躍(?)する『浴室』(ジャン・フィリップ・トゥーサン 1990→94年 集英社)を読む。
 彼は「直感と自発性」を軸に、美しさや触れてはならぬもので敷き詰められた布地を、端から丸めてゆき、軸の天地ひっくり返して再び布を地面に延べる。そうした手順によって、主人公はとり巻く何もかもを革命してしまう。
 そうやって各々の領域にのめり込んだ成果を、大局が眺めると各領域の比較が見え、時間(歴史)が空間に散りばめられて重なった空間に厚みが増すのだ。
 その大局の視点が美や触れてはならないことを浮かび上がらせ、ヒトにメリハリを与えるのだ。

by ihatobo | 2014-12-16 10:25