『子供に関わる仕事』と『赤ちゃんの不思議』
どのめぐり合わせか、この夏の私のコトバ世界はその三冊を中心に活動した。
宗教書は、ある個人の言動を面白がった人々によるその言動の記録で、当時の識字率を考えれば現代のハイ・テクノロジーによる記号の列であった。
その記号の列を言って回った人(本人を含むその弟子たち)がおり、それが人々に受け止められ、更に当時の外国地域、国際語へと翻訳されて広まった。
ボルヘスのいう「超時間性」が、そのテキストに、そうやって備わる。
こんな大雑把な書き方では正確を欠くことになるが、現在でも事情は同じで、その宗教勢力が形成される初期の過程では、それらの“記号”の列はある個人の直感や体験の開陳とそれを面白がった取り巻きとの間答であるのは事実である。
中高生の頃にそうした「普遍」的な読み物を紹介され、正直に読み込んでいっても、それをいま読んでいる現在の自分はそこに登場していない、と誰しも密かに感じた筈である。
さて、今回はその他に『こどもに関わる仕事』(汐見稔幸編 岩波ジュニア新書)と『赤ちゃんの不思議』(開一夫 岩波新書)を読んだ。
一般に守り、教え育てる対象として<子供>を捉えるのが社会の認識であるのだが、この両著とも、<子供>に学ぶという立場で書かれていて興味を持った。
“子は親の背中を見て育つ”というフレーズがあるが、実際に子供を育てるとそれはその通りである事が分かる。
親が子に教え育てようとすることは子には伝わらない。その大部分は親の夢であり、自分が出来ないことを子に押しつけても子は学ばない。
むしろ、子供の勢いに乗って、危ないことや不躾を正していけば事足りる。
そのことに感謝して自分のやるべき事柄にまい進していればいいのだ。
とはいえそれがなかなか難しいのだが・・・
by ihatobo | 2011-09-11 17:46