『晶子曼陀羅』(佐藤春夫 ミリオン・ブックス 講談社 1965年)

 個人的な必要があって、歌謡曲の源泉を辿ろうと、とりあえず私たちの頃のアイドル歌人、与謝野晶子の評伝を読んだ。著者はモダニスト、佐藤春夫。佐藤は、私にとっては賢治の擁護を始めとする、この時期の文学の紹介、推進者で頼りになるとの覚えがある。


 彼は小説作品も書いたが、解説によると本書は評伝小説で、森鴎外が再興した井沢蘭軒、北条霞亭を引き継ぐ系列に並ぶ作品。

 しかし、事柄よりも文の語り口、文体が当時の言文一致運動を反映していて、現在を生きる私には講談を聞いている心待ちであった。そして、東京、関西に起こった、新文学の勃興期を活用した、それこそ史伝文学である。


 大変に勢いのある文の連なりであった。

 次回は、やっとカズオ・イシグロに戻ろうと考えている。


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# by ihatobo | 2017-12-15 09:45

『遺言』(養老孟司 新潮新書)

 前回のカズオ・イシグロの五番目「チェロリスト」を大切に読もうと考えたが、書店をのぞいたら本書を見つけた。私は「無論」(青士社)、「からだの見方」(培風館)以来のファンで、毎回楽しく読んでいるので、先に本書から、ということで読んだ。

 本書も、また楽しい。読んでいて脳がキレイになってゆく。彼独自の語り口(文体)も好きになのだが、何よりも論理的で明解。それが私からゴミを出してくれる。と書いたが、本書では、それがいかんと書いてある。いや、イカンとか間違っているとかではなく、そういうスッキリとしたい、がイカン、と。

 ま、それはそうなのだが、放っといてもゴミは出るので、たまには掃除してもいいじゃないか、と、どんどん読み進んだ。掃除は気持ちいい。本書は、述べた通り明解で分りやすいが、専門用語も出てくる。

 本書は二番目のテーマとして「感覚所与」というのがある。これは哲学用語で、目に光、耳に音が入るようことを言う。それはどういうことか、というと、モノを見ようと意識して私たちは見ていない。


 目を開いていればモノを見ようとしなくても「見えている」。ということで、音も同様「聞こえている」。では、意識しての「意識」は何か、ということになる。感覚所与でピンと来なければ、それを「客観」といっても、この場合は同じ。「事実」や「現実」でも同じ。

 うーん?となる。「事実」を観察し「現実」を見つめる科学は、じゃ何か、となる。それは、「感覚所与」と「意識との乖離(かいり)を調整する行為」とする、述べられている。

 つまり、科学は裁判官であり、弁護と検察の調停をしているようなものである。

 裁判に例えば、事実をめぐって対立している両者とのどちらが本当かと判断できる、ということなのだ。

 この紹介は、ややこしいが本文は明解で分りやすい。是非、読んでみてください。

 冬の京都のように美しい、家々の軒、路ゆく芸娘、雪、下駄の音のように。


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# by ihatobo | 2017-12-08 10:10

『夜想曲』(カズオ・イシグロ 早川Epi文庫)その2

 基本的に恋愛小説として、この短編集は読めるのだが、何よりも随所にちりばめられたジャズのレコードが、私を和ませる。二番目の「降っても、晴れても」は、マーキュリーのサラ・ボーンによる「パリの4月」で締めくくられるし、例のクリフォード・ブラウンとの名盤である。

 さて冒頭は、チェコからベネチアへやって来た、アルト吹きを迎えるギタリストが、活躍する「老歌手」の話。
 前回の本書のタイトル作「夜想曲」にしてもネルソン・リドルが出演するそばに、ウェイン・ショーターが登場するという具合。それらに通底しているのが、「俺は、まだ透明人間だ」という匿名性の問いや、スター性をめぐる美学的な問題提起。
 
 そして更に、事実には敢然と向き合わねばならないという、倫理も扱われる。

 いやー、さすがノーベル賞を取ったと思った。テーマがデカイ。(つづく)


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# by ihatobo | 2017-12-02 20:49