『科学と方法』その2

 本書の著者アンリ・ポアンカレは、1854年生まれ、1912年に没したが、数学の他に物理、天文学者であり、他に『科学と仮説』(1902年)『科学の価値』(1905年)『晩年の思想』(1913年)の三書がある。
 冒頭の緒言によって明らかなように、本書は科学(学問)するための、方法の内味を述べながら、詳しくは入り組んだ記述となっている。今日、私たちは、日常的にある目的を達成する際のやり方を探すが、そのやり方を根拠付けようとするのが本書である。まわりくどい言い方だが、そういうものらしい。

 さて、店は偶然が集まる場所だが、充分に長い期間が経過すると偶然が溜まってきて、ある閾値を越えると、それが反転して必然のものとなることがある。先日も、長い付き合いを願っている田川律のことが、しきりに気になっていたところ、その昔に彼と共に仕事をしていた演劇人が店にいらした。

 昼下がりに酒が飲めるのが気に入って再訪してくれたらしく、この日は確か2回目で、今回は注文のやり取りの中で、自分の仕事のアレコレを語り始めた。私たちの店は基本的に、注文や精算の時以外はお客様と会話はしない。例外が起こっても、守られるように手はずが整っている。
 しかし、今回の問わず語りの中で田川律の固有名が出来たのに、私が反応してしまった。以前は半年に1回ほど定期的にいらしていた彼が、ここ2~3年見えていなかったからだ。70を越えてしばらくたっているはずである。その演劇人に尋ねると、同年齢だという。

 私は、身を乗り出して会話した。田川の近況が知りたかったのである。しかし、彼も「そういえば、だいぶ会ってないなぁー」
 結局、私が古い住所録を探して、思い切って電話してみた。が、電話が繋がらず、私は以前勤めていたレコード店の事務所に電話してケータイ番号を聞いてみた。電話の声は元気そうだったが、「足が利かなくなってなぁ」「今度いらしたら、この番号教えていいですか?」「あぁ、ええよ」
 そうしたやり取りがあって、今は、いらっしゃるのを心待ちにしているところ。

 もうひとつの偶然は、開店以来のお客様である柄本明の名も出したのだが、この次の日に電気を付けに窓に寄ると、柄本が犬を散歩させているではないか。私は階段を駆け下り、「柄本さん、あのー金子賢三が昨日、店にいらして柄本さんの話になって~」と報告。
 偶然は一度起こると、重なるものらしい。(つづく)
 本書には、その偶然に関する章があり、全体的に納得できる記述もあり、オススメである。
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# by ihatobo | 2017-04-28 10:38

『ヴェーユの哲学講義』(シモーニュ・ヴェーユ・著 渡辺一民/川村孝則・訳 1996年)

 本書を知ったのは、40代後半になってからで、もちろん学生の頃に、書名と著者の名は、どこかで見聞きしていたから、文庫になったのを絜機に買ってきた。
 最速、読むには読むのだが、そもそも恩寵(おんちょう)の概念が分からないから、さっぱり内容を掴めなかった。今回は、いくらか理解が進んだが、いわば文系女子が物理学の基礎概念である「重力」を扱ったわけだから込み入っている。

 たとえば、第一部には「感情における身体の役割」の章があり、その身体が反射と本能に依っているとして、その各々を定義して論を進める、という、いわばメンドーくさい。
 しかし、最初に述べるように「ことば」に対する強い執着があり、「記号」について、その体系について深く考察を重ねたことが、伺われる。
 もうひとつには、「身体」の相対化、それを軸にした生から死、地球から宇宙の発生、心理学、社会学、経済、国家へと各々を常に「身体」から発想し、分析してゆく。最終章に審美的な感情についての徹底した探求を配して、「勇気」や「自殺」、思いやりといったテーマにまで及んでいる。

 今回の岩波書店版では、こういった込み入りが、解きほぐされているのだろうか、また買ってみようと思う。
 何か様々なことを、思い起こさせる本である。
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# by ihatobo | 2017-04-21 09:43

『詩という仕事について』(J.Lボルへス 鼓直・訳 岩波書店 2000→2011年)

 ごく最近になって、ソニー・ロリンズ「ワーク・タイム」(Prestige)を手に入れて聴いている。LPで聴いていた頃の記憶は鮮烈で、1曲目に、いきなりテイナーの音が鳴り響き~といったものであったが、それはB面であったのが、今回、知れた。

 私は、このアルバムはB面をより多く掛けていたのだろう。まだ何も知識のない頃に、喫茶店でアルバイトをしていた頃、このアルバムのカバーに魅かれて聴いたのだった。が、それは60年代の終りに再発売されていた盤だったのも、今回、知れた。
 テナー・サックスを携えて、まぶしそうに立ち尽くすソニーがカッコ良かった。大方の“ジャズばなし”では「やっぱソニーは、サキソフォン・コロッサス」が優勢だったが、私は秘かに「ワーク・タイムだよな」と思っていた。

 さて、うっかり“ジャズばなし”になってしまったが、つまり音楽から離れて、おしゃべりは延々と続く訳だ。その、直訳すれば仕事の時間は、即ち、その仕事の内容をしゃべることなのだ、というのが本書である。
 ボルへスは1967/68年に米ハーヴァード・ノートン語学講義を受け持ち、その記録をまとめたものが、2000年に出版され、2002年に翻訳刊行されたものの、これは文庫化である。
 本書の核心部分は、ボルへス自身も「透明人間」という言葉で「自分」を説明しているように、何かを書くのだが、それを書いている自分がそこに隠れてしまう、という矛盾を突き詰めている。

 作品自体が「自分」であり、それを造るのも「自分」、つまり「創造者」である、というまわりくどい言い回しをして、結果何かが伝わる、それが詩だ、と言っているようなものである。込み入っているが、大変シンプルな判断である。
 本文庫が刊行された折に、本ブログでも紹介したが、内容は覚えていない。10年の2月の日付が記されているので、その頃だと思う。詩に形式についてボルへスは、前回のポアンカルと、語り口が似ている。偶然では、ないのだ。
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# by ihatobo | 2017-04-14 09:06