『新劇製作者』(水谷内 助義 一葉社 2017)

 阿刀田高が、物語の役者は、その陰に自らの自慢話を隠してはならない、というような意味のことを文学の夕べで述べたそうだが、本書はその物語のライブである芝居の制作者、水谷内さんが時々、書いていた文章を集めている。

 彼は1965年に劇団に入り、やがて「製作」といわれるようになるセクッションを任される。この時代、どの劇団にも、その役名はなく裏方とか営業部といわれていた。つまり、どの台本を選ぶか、どの作家を原作にするか、小屋はどうするか…といった、いわば劇場公演に向かう下ごしらえをやっていた。

68年には、後の「自由劇場」の佐藤 信に“一緒にやらないか”と声を掛けられ、前年初演された安部公房の「友達」を「青年座」で公演することになる。

 その後、製作部はプランナー、69年には俳優を育てる養成機関、つまり学校を作り、「ここから演出家や装置家、製作者」が育つことになる。こうした内容を持つ「つぶやき」(04年「テアトロ」掲載)から始まる本書は、裏方の実践記として貫ら抜かれている。

 貴重な記録であると同時に、匿名に絞った著者の情熱が、ほとばしる、ある種の叙事詩である。

 書店で、手に取って見てください。端正な本です。


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# by ihatobo | 2017-10-20 09:40

『恋する理由』(滝川クリステル 2011 講談社)

 フランスびいきの私は、当地から発信される音楽はもちろん、映画、文芸、ファッション、風俗など様々な文化現象に関心を持っている。

かといって、その文化のコアである仏語を知るかといえば、カフェ・オ・レ、トリコロール、アムールぐらいが、せいぜい。しかし、繰り返し関心を寄せていると、おぼろげながら、彼の地の輪郭がつかめてくる。

 本書は、“日仏のダブルアイデンティティとして生まれた”(帯の部分)著者の初めてのエッセー集。とても歯切れのいい文が、集められている。一言では説明できない、文化現象を短く紹介している。しかも、彼女の女性としての見方を、手際よく披露。そして何より、両国語で記述されているコトバは、新鮮で未知の領域の事柄でも、日本語で理解できる。

 例えば、エレガンス。普段、意味も分かって使っているが、それは「何だか、素敵」だし、その為に「自立」していること、「自由」であること、そして、それは「神秘的」である、という一連のコトバを含んで仏語では使われる、という具合に、私にもハッキリと理解できるのだ。

 他にも、たくさんのコトバが、フツーに理解できた。「シック」とか…。

是非、読んでみてください。巻末に日仏の「女性解放運動の歴史」が、これも短く、分りやすく収められている。


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# by ihatobo | 2017-10-13 10:34

『いたこニーチェ』(適菜 収 朝日文庫)と『遠野物語』(柳田 国男 角川ソフィア文庫)

 いよいよ、私たちの店も開店40年を迎える(105日)。それにちなんで、東北地方をめぐり、各地域に伝わる民話を集めた『遠野物語』を紹介しようと考えたが、実際に読んだのは、もう少し北の物語。

 下北半島の恐山のいたこ(霊媒師)を狂言まわしに使ったF・ニーチェの解説・解釈本。

 鈴木大拙から逃れ、麿赤児へ至ったが、禅は紹介が出来ない。そもそも、紹介されるようなものではない。ギブ・アップ。そこで、40周年に借りて、本書の紹介に落ち着いた。


 しかし、言ってみればニーチェほど扱いにくい対象はないわけで、著者も、いたこの力を借りたのだろうと思う。「神は死んだ」とニーチェは書いたが、その神を彼は定義している。


―「神は本来、民族において民族の強さや民族の権力を、求める感情(!)である」(227P)― 


 「」内は句点で切って、フレーズを並列に並べると分りやすい。独語なので、主語が「感情」である。というのは、神は死んだのであり、感情も、いつ消え去るか分らない。神(権威)は横を向けば無くなる、ということだ。

しかし、神⇔感情というところが、ニーチェの凄いところ。にしても、神⇔感情は民族に関係しているのは確かだ、と言及しているのだ。危ういヤツに変わりはない。


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# by ihatobo | 2017-10-06 10:19